PJ: 林田 力
二子玉川公金支出差止訴訟で住民側控訴(下)
2010年06月12日 14:52 JST
(中)からのつづき。このように極めて短期間で決定がなされていることから、住民側は実質的な審査をしたことの裏付けを欠き、補助金交付の公益上の必要性の判断に違法があったと主張した。これに対し、判決は「世田谷区の職員4名が同年3月22日に実施検査を行った」と認定した上で、以下のように判示した。
「上記の各補助事業は、その性質上、専門家によって行われる図面作成等を目的とするものであり、また、その成果物に何らかの瑕疵がある可能性があったことをうかがわせるに足りる事情もないのであるから、上記の各補助事業の成果について行われた適合性審査が短時間にすぎるという原告らの主張は、当を得ないものいうべきである。」(50頁)
判決は職員4名が実施検査を行ったと認定するが、どのような検査をしたかは述べていない。検査が1日で終了したとしても必ずしも不十分と断定できるものではないが、検査内容が分からなければ検査が十分かを判断することは不可能である。
一方で判決は事業内容が「専門家によって行われる図面作成」であることを理由付けの中で挙げている。しかし、専門家が担当する専門的な内容だから、長時間の審査は不要との結論は非論理的である。専門家が作成したことを理由に、専門家を信頼して深く審査しないならば、丸投げとなり補助金交付要綱の趣旨に反する。むしろ専門性の高い成果物を真剣に審査するならば、それなりの一定の時間が必要になる。
判決は住民側の請求を退けたが、積極的に現行の再開発計画を優れたものと認定したものではない。それは判決中に繰り返される「合理性を欠くとまではいえない」的な表現が示している。判決は明白で極端な問題は見付からなかったと述べているに過ぎない。ここには行政庁には広範な裁量権があり、明確な逸脱がない限りは行政庁の判断を尊重するという発想がある。これは本件に限らず、多くの裁判の傾向である。
しかし、これでは住民側は納得できない。極端な問題がなくても害悪を及ぼす行政処分は無数に存在する。そのようなケースは裁判所の論理では救済されないことになる。それが裁判所の仕事でないとしたら、一体誰が是正するのか。
日本の行政組織には問題を事後的に検証して反省する能力が欠けている。だからこそ、これまで虐げられて無視され続けた人々が最後の希望として提訴する。官僚的な形式論で悲痛な訴えを切り捨てることは日本社会の現状を踏まえた上での裁判所への期待に背くことになる。
住民側は「私たちは行政の誤りと同時に司法の誤りも正し、かけがえのない自然環境と、国民主権による公正な行政の実現のために、最後まで闘い抜きます」と述べる(二子玉川東地区再開発公金支出差止請求訴訟原告団・弁護団「二子玉川東地区再開発公金支出差止訴訟判決に対する声明」2010年5月25日)。司法が住民の期待に応えられるのか、控訴審の行方が注目される。【了】
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
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