PJ: 石川 雅之
余情の喪失〜『1Q84』Book3に落胆
2010年04月28日 06:21 JST
書店は「1Q84」Book3の発売で大賑わいだが。湘南地区の某書店ショウウィンドウ4月25日 撮影:石川雅之 
【PJニュース 2010年4月28日】発売前から昨年に続き大騒ぎとなった村上春樹の『1Q84』Book3(新潮社)は、amazonが予約だけで1万冊を超えたと発売日直前にプレスリリースし、何カ所かの書店ではボージョレーヌーヴォーよろしく夜中の日付変更とともに販売を開始したりもしていた。16日の発売日から数日で初版が捌(さば)け入荷待ち状態が続いていたが、 増刷がすんだようで24日頃からどこの書店でも平積みになりはじめた。
文芸書が話題になり、実際に多く売れることは喜ばしいことではある。しかしながら、村上春樹のデビュー以来の読者としては、その内容に、前作同様、首を傾げないではいられない。
昨年の2冊については別のところで新聞各紙書評が相次いで絶賛したことへの疑義を表明したのだが(「村上春樹『1Q84』への相次ぐ絶賛に疑問ー作品に横溢する既視感はたして会心の作か・・・」janjan2009/07/08 http://www.book.janjan.jp/0907/090 7046356/1.php)、長年のファンとしては、このたびのBook3による感想の刷新をいささか期待するところがなきにしもあらずであった。しかし残念ながら、一読、期待は空しいものとなり、より一層の落胆を禁じ得なかった。
そもそも「青豆は拳銃の引き金を引かなかった。」(同書37頁)とは、どういうことなのだろう。なるほど、そうしなければ物語としての延伸はままならない。しかし、ある時間の堆積によって紡ぎ終えたはずの物語世界にあっての大事な「既成事実」を、素知らぬ振りして更新してしまう安直さを誰が求めたのか。仮にどこからか何がしかの要請があったにせよ、そう記述して読者に提供したのは村上春樹自身である。だとすれば、この展開は作者の意図と受け止めるしかない。月が二つ空に浮かぶ世界の話なのだから、そんなことに拘泥すること自体が間違っているのかも知れないが、虚構とはいえ、なんでもありなら読む側は真摯に享受できない。
処女作でカート・ヴォネガット風を装ったように、あるいはトルーマン・カポーティが書いた『冷血』と同じく徹底した取材により『アンダーグラウンド』で新機軸を著したように、本作では、滝壺に落ちて死んだはずのシャーロック・ホームズを読者の要望で生き返らせたコナン・ドイルにでも倣ったとでも言うのだろうか。「実は生きていた」というのは推理小説のジャンルではしばしば使われる作法ではあるらしいのだが、この作品はそうしたエンターテイメント小説ではないだろう。そこまでする必然性がどこにあるというのか。やれやれ。古くからの読者は、一様にそう慨嘆するはずである。言葉が過ぎるだろうか。
内田百間の引用や小道具として使われるプルーストをはじめ、「アッカムの剃刀」などという論法をそのまま用いたり、ドストエフスキーをそれとなく踏まえたりなど、読み手の教養を試すような仕掛けがいずれもあざとく感じられてならなかった。ユングが引き合いに出される場面では、河合隼雄に学んだことはもっと別のところで形にすればいいのにと、切なく思ったのは個人的感想に過ぎるだろうか。
さらに言うならば、あらゆる事象への呆れるほどの説明過多。当代随一とも評していい物語巧者が、何を考えて、かくも言葉数を多くしなければならなかったのか。全く理解に苦しむ。あれもこれも説明してしまっていて、文学作品にとって不可欠であるはずの「余情」の入り込む余地(!)すらない。「行間」を悉く埋め尽くしてしまっているのである。
標題に「喪失」という語を掲げたが、作者の意思による能動的営為なのだから「消去」とするのが妥当な語の選択になろうか。過ぎたるは猶及ばざるが如し。『論語』の余りにも名高い一節を引用するまでもなく、どのあたりで語り収めるかに小説家の力量は顕われるはず。もしかしたら「守旧派」とレッテルを貼られて、古い物差しの持ち主はだから困ると反論されるとしても、この点ばかりは譲れない。中世の芸能大成者、世阿弥の遺した「秘すれば花」の警句こそが、芸術一般の普遍的真理。そう確信している。
評価すべきが皆無と言うつもりは決してない。ひとたび頁を繰り始めれば、たちまちのうちに独自の小説世界に惹き込み、読み飽きさせない力量はさすが。しかし、7年かけて産み出した物語世界を、1年も経たぬうちにあえて延伸し、ほんの僅かな時間で校了したろうゆえの欠損はやはり免れない。無いものねだりが過ぎると揶揄されそうだが、比類ない数の読者を有しているのだから、すべきことがあるはず。昨年2月に話題になったエルサレム賞受賞スピーチで示された「卵と壁」の比喩を、小説として明確に具現化するのでもいい。大家然として過去の貯金を食いつぶして行くような齢(よわい)ではないはずである。
同時代を生きる重要な作家だと思うからこその批判、要望。いくら時間がかかっても構わない。読んでよかった、と深い所で感応できる作品の提供を、とそう読了ののち直ぐさま願ったことだった。【了】
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