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PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(11)・“ファンフーラ”の銅像
2010年07月23日 06:26 JST


“ファンフーラ”の銅像(レッチェ露地裏の十字路で)、画:石川信義 

【PJニュース 2010年7月23日】思い切り朝寝坊をし、昼下がりの午後にようやくみこしをあげて街に出た。イタリアもここまで南下してくると日射しが強烈になる。カーッと暑い。直射日光に当たると頭がくらくらしてくるので、迷路のような路地の日陰伝いにただあてもなくふらふら歩いた。それでも道傍のあちこちの壁穴に小さなマリア像が立っていたりするので、路地を歩くだけで結構楽しめる。

歩くこと小半刻、小さな十字路で目を剥くようなものにばったり出会った。奇怪千万な姿のブロンズ像だ。遮るものひとつない強い陽光のもと、十字路の中央にそれがでんと据えられていた。「なんだァ、これは!」、あまりの不思議な姿に思わず声が出た。

その像は姿格好から推すと明らかに修道士と思えるのだが、頭に無骨な兜をかぶり剣を手にしているところを見ると戦場に居る姿だ。さらに奇怪なのはその姿態で、悄然(しょうぜん)とうなだれるは、疲れ切ってもう動けないと言う様子だ。

「いったいどういうわけでこんなにしょんぼりしているんだァ?」

あまりに奇妙な姿だから、僕は強い日射しも忘れ汗をポタポタ流しながらその姿をスケッチに収めた。台座の横にイタリア語の銘文が刻まれていたので、意味はさっぱり分からなかったがその文章をスケッチの絵の上に写し取った。

後日談だが、このスケッチについては長野君からこんな便りが届いた。
「6ヶ所写し違いと思える文字があったがそれを直して銘文を翻訳してみた」
(銘文)

SONO TITO DA LODI
DETTO FANFULLA
UN MAGO DI QUESTE CONTRADE
ANTONIO BORTONE
MI TRAMUTO IN BRONZO
LECCE OSPITALE
MI VOLLE QUI
MA QUI E DOVUNQUE
DIO E ITALIA NEL CUORE
AFFLIAMO LA SPADA
CONTRO OGNI PREPOTENZA
CONTRO OGNI VILTA
MCMXXI

(長野君の翻訳)
「我はティト、ロディの生れ
人呼んでファンフーラ
この地の巧み(註)(Magoは魔法使いの意味もある)
アントニオ ボルトーネ
我を化して一塊の青銅となせり
レッチェは貧しけれど我が安らぎの地
我のここに止るを願えり
而してここまたかしこにあまねき
神とイタリアいずこにても
我は霊剣を磨くなり
あらゆる暴虐に讐せんがために
あらゆる卑劣を誅せんがために
1921年

銘文を訳してはくれたが、流石の長野君もこのブロンズの人物がいったい何ものか、それは分からないという。「それにしても、君の言う通り妙に気になる人物像だ」と。

それから旬日も経たないうちに彼から第二便が届いた。その手紙にはこんなことが書かれていた。

「イタリア文学の先生にあの絵と銘文を見てもらった。イタリアで自著を出版している相当のレベルの人だ。その方の見解は次の如しだ。

『レッチェ市内の一角にST. ANTONIO IN FULGENZIO(セント・アントニオ・イン・フルガンツィオ)という修道院があり、そこにANTONIO BORTONE(アントニオ・ボルトーネという人の彫刻やスケッチが保存されている。彼の名は銘文の名前と同じだから、恐らくこのブロンズ像もその人が作ったに違いない。この像は、十字路と言ってもその修道院の前にあったのではないかと思う。市内の修道院は、一見市民の一般家庭と同じような建物の中にある場合があるから。TITO(ティト)がどんな人かは分らない。LODI(ロディ)という村はミラノ近郊にあるけれどどうか? FANFULLA(ファンフーラ)の名も知らない』

「以上のようなことだったが、この先生も銘文の後半に“神とイタリアが剣を磨く”と突然出てくる部分はやや解しかねたようで、修道院の前にあるからでしょうかと少々怪訝(けげん)な面持ちをしていた。そして、『残念乍らレッチェに友人が居ないので私に分るのはこの辺までです』と。

「それにしても、このブロンズ像が何者であるか大いに気になるところではある。別名ファンフーラというのはどう考えても軽佻浮薄なあだ名に思える。フランス語でも“FAN”(ファン)が頭につく言葉にはあまりよい意味の言葉はない。ホラ吹きとか空威張りとか卑しいとか‥‥。それにしてもこの像と銘文はパズルのように面白い」

長野君から連続して以上のような手紙が届いたから、僕の方が今度は落ち着かなくなった。ファンフーラは何者? しかしどこをどう探しても、ファンフーラはおろかロディのティト氏の名前すらみつからない。しびれをきらした僕は、遂にイタリア本国の観光局宛てにスケッチのコピーと「この人はどんな人?」という質問書をおくりつけた。1ヶ月ほどしてその返事が来た。

「この人物はロディ生れのティト、別名ファンフーラです。ロディはミラノ近郊の村の名で彼は貴族でした。この人は1503年のレッチェに近いバレッタの戦いで大いに活躍しました。

実在の人物ですが、実は、この名前は架空の名前で、本当の名はETTORE FIERAMOSACA (エットレ・フィエラモスカ)なのです。

この碑文の名は、イタリア人作家のMassino DAZEGLIO (マッシーノ・ダゼグリオ)がこの戦さのことを小説にした時に主人公につけた名前です。つまり、小説上の仮の名です。

この小説は書かれた当時広く読まれ、小説の主人公ファンフーラは勇敢なイタリア武人のシンボルとして有名になりました。ですからイタリアでは実名のエットレよりもファンフーラと言った方が通りがよいのです。

この像はアントーネ・ボルトーネという彫刻家が“ファンフーラ”の足跡をイタリア人の記憶に永久にとどめたいと願って、レッチェで作ったものです」

以上のような次第で、僕がスケッチしたブロンズの人物像が何者だったかがなんとなく分った。僕のイタリア語は朝晩の挨拶がやっとというくらいなものだから、この銘文もただの気まぐれで写し取ってみただけだ。その銘文を長野君が訳したことから、この像をめぐるやりとりが始まった。

それにしても、“ファンフーラ”をめぐる長野君との手紙の往復は面白かった。これだけでレッチェを訪れた甲斐があった。

筆を旅に戻す。

「さて明日はどこへ行こうかな?」

イタリア南部の観光地というと、アルベロベッロというあの奇妙な屋根を持つ村が頭に浮ぶが、あんなもの見たってしようがない。日本のワラ葺屋根の方がよっぽどましだ‥‥。さてどうしよう? そうしたらベットにもぐるときヒョイと名案が浮かんだ。

そうだッ、宮崎駿の「紅の豚」だッ!

しかしこの思いつき、どうもとんだことだった。ことの次第は次のスケッチ文で。【つづく】



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PJ 記者