PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(10)・レッチェの銀行前の風景
2010年07月22日 06:36 JST
レッチェの銀行前の風景、画:石川信義 
ターラントからブリンディジ経由の鉄道でレッチェに向った。六人掛けのコンパートメントは僕一人だけで、靴を脱ぎ椅子に体を横たえるゆったり姿勢で窓外を見た。明るい藍色の海、広々としたオリーブ畑、こんな見慣れた風景でも、こうしてのんびりくつろいで眺めるとまた格別なものがある。乗るたびにいつも思うのだが、イタリアの鉄道は概してのんびりしているから気分がよい。
その点、日本の鉄道は本当に駄目だ。新幹線は速いばっかりで味も素っ気もない。おまけに乗車賃だけやたらバカッ高い。ローカル線も今はもう鉄道という感じがまったくなくなって、ただの電車だ。どちらも「旅情」などという言葉とは無縁で心が寒くなる。
レッチェ(Lecce)はプーリア州レッチェ県の県都で、長靴で言うと踵(かかと)の中央部に当る。町の起源は古代ローマ帝国に遡るが、その後、東ローマ帝国、ノルマン朝、ナントカカントカ朝、果てはスペインに至るまで様々な国の支配を受けた。その故か、旧市街の道路も建物も迷路やカスパのような複雑な様相を呈している。
レッチェは、「バロックの町」、「ブロンズの町」、「南イタリアのフィレンツェ」などと色々呼ばれているが、いちばん人口に膾炙(かいしゃ)している呼び名は「バロックの町」だろう。錯綜した旧市街の露地をうろつくと、至るところでバロック様式の建物や装飾にぶつかる。
面白いと思ったのはサンタ・クローチェ聖堂だ。17世紀末に完成を見たものらしいが、正面のファザード(正面)の装飾がこれぞバロックという代物だった。中央に巨大なバラ窓を配し、そのまわりをこれでもかと言わんばかりの動物や植物やグロテスクの浮き彫りで飾り立てている。円窓の下のバルコニーは得体の知れない奇妙な生き物に支えられ、その手すりときたらなんと13体の子供だ。
「バロック」はごてごてし過ぎていて、どうも僕はあまり好きになれないのだが、しかしゴテゴテもここまで来るとそれなりに面白い。
それにしても、なんという感性の違いなのだろう。バロック建築を見るたび、僕はいつも反射的に奈良の唐招提寺を思い浮かべてしまうが、どう見たって日本のものの方が美しい。「美意識の違い」と言ってしまえばそれまでだろうが、これはあまりに違いすぎる。この違いはいったい何なのだ。
クローチェ聖堂を見たあとドゥオモ広場まで行き、司教館や神学校やドゥオモ(聖堂)や鐘楼などを一瞥(いちべつ)したが、唐招提寺の「端正」を頭に思い描いたあとだったから、これらの建物がただもう稚拙でバカバカしく見え、ここでもう「バロックの町」を見るのはやめにした。
レッチェのバロックは些か安っぽい。此処のどこを指して「南部イタリアのフィレンツェ」などと言うの?
だいたい、「ドコドコのナニナニ」という言い方をする場所にロクなところはない。曰く、「関東の小京都」、「長野の鎌倉」。これが「足利」と「別所」だっていうのだからこちらが「なヌッ!」と驚く。「よくもまあ恥ずかしげもなく‥‥」。 ずっと以前、「アジアのベネツィア」というのでバンコク近郊のアユタヤへ行ってみたら、その比喩(ひゆ)のあまりのトンチンカンさにひっくり返ったことがある。
レッチェの町が想像していたより安っぽく見えたので、ホテルは飛び切り上等の5ツ星にした。このホテルはよいものだった。小さいが堂々たる風格があり、ここのロビーに座っている方がレッチェの町をうろつくより心が余程落ちついた。年代を経てマホガニーが黒光りしているようなこの種のホテルは、ヨーロッパの伝統的な文化の香りがあたり一面に漂う。
夜、濃紺の紗(しゃ)の着物と下駄履きで食事に出た。オープンレストランの一角に座って塩茹でのムール貝をつまんでいたら、隣にフランス人の若いカップルがきて座った。
余談だが、アドリア海のムール貝は素適に美味しい。ころっと丸く噛むとプチュッと歯の下ではじける。昨夜のターラントではあまりの美味しさに大盛りを二皿も食べた。
ところで、隣に座ったそのフランス人だ。
兄ちゃんの右上腕には「愛」という中国文字(簡体字)の大きな入れ墨があった。二人が話しかけてきた。「これは日本の文字ですか、それとも中国の文字ですか? 文字の意味は恋人? それとも友達?」
どうも呆れたお人だ。自分の腕に彫ったものなのに、それが何処の国の文字か、どんな意味なのか良く知らないらしい。
「あのネ、“身体髪膚(はっぷ)コレヲ父母ニ受ク。敢エテ毀傷(きしょう)セザルハ孝ノ始メナリ”という孔子様のお言葉もあるでしょ。貴方はそのお言葉に背いて敢えて毀傷したんだから、せめて入れ墨の文字の由来ぐらいは分かっていてネッ」。但しこれは僕のひとり言。
「これは“アモーレ”の中国文字です」
僕は彼にそう言い、日本だとこの字はこう書きますと紙に「愛」と書いてみせた。二人は日本の「愛」と中国の「愛(簡体字)」の二文字を見比べ「ほゥ」と言った。
そこで今度は、楷書体、行書体、草書体の三種類の愛を書き分けてみせた。そうしたら、二人は手を叩いて喜び、僕の書いた三つの文字を指さして、「トレビアン!」「トレビアン!!」と絶賛をした。
ワイワイ三人で騒いでいたら、どうしたことか兄ちゃんの方がだんだん元気がなくなってきた。どうした? と尋ねたら兄ちゃんが答えた。
「中国の“愛”じゃなくて日本の“愛”の方がよかったなァ!」
そりゃぁそうでしょうよ。日本の文字の方が美しいさ。彫るのなら、これ行書の愛さ。兄ちゃんは僕の指した文字を見、あらためてトレビアンと言っていかにも無念そうな顔をした。
お姉ちゃんは笑った時の目があどけなくて魅力的だった。別れ際、その目を誉めたら彼女は双手を拡げのけぞって喜び、「メルシー・ボクッ」を連発した。そのお返しか、僕の紗の着物を何度もさすって、ビューチフル、ビューチフルと言った。さすったのが腰のあたりだったので、少々くすぐったかった。
冒頭に掲げたスケッチは、レッチェの駅に着いて銀行で両替えをしようとしたら延々手間どったので、銀行の玄関先で描いた。この絵も長野君に酷評を受けた。
曰く。「この絵は遠近法に欠陥があるのではないか。左右二つの建物の繋がり方で絵が混乱する。別の絵を二つ真中で貼り付けたように見える。左の黄色い建物と右の赤い建物を見る視点が別のところのようだ。一方通行標識のある道が建物の後で無くなってしまう印象だ。この絵は一度全部解体して立体派風に再構成したほうがよい。怒ること勿(なか)れ。けだしキュビズムの発生の原理なのだ」。
【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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