PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(9)・ターラント旧市街の露地裏
2010年07月21日 06:17 JST
ターラント旧市街の露地裏、画:石川信義 
【PJニュース 2010年7月21日】ターラントには旧市街と新市街がある。
旧市街はもともと外海と内海を分かつ長さ1キロの半島にあったが、軍艦を通すため半島の根元に運河を作ったので今は島となっている。狭い区域だが細い路地が縦横に走り、民家が押し合うように密集する。旧市街の住民は貧しいからあまりこの地域の治安は良くないと聞いた。
新市街は旧市街を挟む形で両側に拡がる。旧市街とは橋で結ばれている。運河の方の橋は船を通すために旋回橋(Ponte Girevole)になっている。その橋のたもとにアラゴン城があり、僕はその城前広場近くのホテルへ入った。少々狭苦しい部屋だったが、一晩泊まるだけだから居心地よりも旧市街散策に便利なほうがよい。
城前の広場には、紀元前6世紀末のものと言われるドーリス様式の円柱が一本立っている。これは、ギリシャ神話に出てくる海の神・ポセイドンの神殿の跡なのだそうだ。これひとつ取ってみても、いかにターラントの町が古い時代から存在していたかが分る。
当然のことだが、ここでは沢山の古代ギリシャの文物が出土した。お金持ちの墓からは金の月桂冠や金の装飾品が出てきたという。出土品のなかには、彩色されたテラコッタ(古代ギリシャの素焼き品)もある。そのテラコッタの中に僕が是非ともお目にかかりたいと思っているものがある。美しい女神像だ。
僕はかなり以前、どこかでその女神像の写真を見たことがあり、それはたしかターラントの博物館にあると書いてあった気がする。ともかくも、博物館に行ってみることにした。
しかし、実に残念なことに博物館は「閉鎖中」の札がかかり、その扉は固く閉されていた。残念! と思ってそばの土産物屋に入ったら、その店の絵葉書の中にその女神がいらっしゃった。仕方がないから僕はその絵葉書をその店で買い求め、未練たらたら博物館の石段に腰を降ろして彼女と御対面をした。やはり、うっとりするほど美しい。薄紅のテラコッタ彩色がその女神の色っぽさを一層引き立てている。
僕はその絵葉書をターラントから長野君に送った。帰国後、彼からこんな返事が届いた。
「彩色の女神像、紀元前3-4世紀頃とあるからアレキサンドロスの頃だろう。この像は大変に美しい。初めて見た。感心をした。ひとつの文化の衰退期には、力強さが消えて洗練された優美さや繊細さの美が表に出てくるように思う。この像もきっとそのようなものだろう」
「この彫刻は、ミロのヴィーナスの趣に近い。ミロもほぼ紀元前4-5世紀(紀元前2世紀の説もある)と言われるから同じ頃のものだろう。しかし絵葉書で見る限り、ターラントのこちらの方がミロより優美に見える。線が弱いせいか、温かみを感じる。それでいて表情が引き締まっている。秀作だ」
「三人が踊るテラコッタ像や、鳩だか雀だかの耳飾りもいい。壷の絵の男女の表情は楽しい。イタリア語だかギリシャ語だかが聞こえてくる。女性の表情が驚くほど素晴らしい」。
僕もまったく同感だ。
どっちにしても「閉鎖中」ではどう仕様もないから、近くのカテドラル(大聖堂)に入った。ここでは祭壇とそのまわりの装飾に目を剥いた。煌びやかな象眼だが、イスラムの影響からか様式は端正だ。ウーンと唸って外へ出たら旧市街の汚さがあまりに対照的だったので、二度唸った。
旧市街の路地はまことに狭苦しい。腕を拡げると両端に届いてしまうほど狭い。その路地を上に見上げてスケッチした。
(この絵は長野君に酷評された。曰く、「左上のバルコニーの手すりの線とバルコニーの底の線が一致しない。底が奥に引っこまないで垂れ下がって見える。上下二つのバルコニーの線が奥に行くと拡がっている。低い位置から眺めるとこう見えるのかな? と想像してみたが、やはり違うように思う。視線がこのバルコニーや窓枠の線を追って混乱するから、道路を渡した電線と旗と布端との関係がわからなくなって、あのエッシャーのだまし絵の世界に居るような感覚の虜(とりこ)となる」
「描いた絵を鏡に映して眺めると言った友人の画家が居た。そうすると思いがけぬ歪みやバランスの欠陥がわかるのだという。面白い方法を考えるものだと印象に残っていたので、この絵を裏から透かしてみたら、これはこれで安定して見えた」
絵を描いていたら、そのうち子供が僕のまわりにわんさと集まって来たのには閉口した。みんなかなりのボロ服を身に纏っていて、ワイワイとうるさい。早々に描き上げて歩き出した。
50メートルも歩ったところでなに気なく振り返ったら、僕のすぐ後を10歳くらいの一人の少年がくっついてきていた。彼は僕をじっと見上げて無言だ。
さっきの騒がしかった子の一人? そう思った僕は敢えて彼に声をかけずに再び歩き出した。しかし、100メートルほど歩いて振り向いたらまだ彼がぴったり後についてきていた。僕が立ち止まると彼も立ち止まる。
「どうしたの?」、声をかけてみたら、彼は黙って手招きをし、上の方を指さした。指先を追ったらその先は三階の錆びついた窓枠だった。かなりのオンボロ家屋だ。
「あそこが僕の家。寄っていきませんか?」、そんな意味のことをボソボソッと彼が言った。一瞬ためらったが僕は答えた。
「ありがとうよ。でも、ちょっとこれから用事があるんだよ」
僕はリュックからボールペンを一本取り出しその子にあげてその場を立ち去った。
あとで後悔した。
彼はどうしたかったのだろう。「この人とお友達になったんだよ」と家人に自慢したかったのかもしれない。或いは母親に僕を合わせたかったのかも‥‥。或いは、自分のお勉強道具やら教科書などを僕に見せたかった?
どっちにしても、僕は彼の御招待を喜んで受けるべきだった。
別れ際、少年はひどく悲しそうな目をした。その時の目がいつまでも僕の瞼に残った。寡黙な少年だった。可哀そうなことをした。旅をしていると、ふとした時の人の顔や表情が妙に心に残ることがある。
明日は汽車でレッチェに向かう。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。海軍兵学校78期
PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。

