SakuraFinancialNews

Updated: Apr 23 00:41    

HOME > (686) > 昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・...

PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(8)・ターラント軍港を臨む椰子林
2010年07月20日 10:01 JST


ターラント軍港を臨む椰子林。画:石川信義 

【PJニュース 2010年7月20日】ターラントへ向かうことにした。マテーラから70キロだ。バスが1日2便出ているというが、ホテルのおばちゃんは出発時刻までは分からないという。バスは駅前から出るにきまっているから、そこまで行けば分かるはずだと食後の散歩がてら駅前広場まで浴衣の着流しで歩いていった。

ところが、時刻表はおろか、何処からバスが出ているのかすら分からない。駅員に聞いても土地っ子らしい人に聞いても、「ターラント? さあ?」と首をかしげるばかりだ。なんたることだと面倒くさくなって、駅前にいたタクシーに聞いた。「ターラントまでいくらで行く?」

運ちゃんは1万円と答えたが、「あんたの暇な時間に行ってくれればいいんだから7000円で行ってよ」と言ったら即座に彼が承知した。これは値切りの達人の隠し技だ。

翌朝、10時にその運ちゃんがホテルに来た。僕は朝食を済ませたばかり、まるで僕の都合に合わせたようなぴったりの時間だ。

マテーラを出て暫らく荒れ果てて乾いた大地を走る。カプリ島で出会ったあの農夫一家の住居はこの辺りだろうか? ポツンと貧しい一軒家が山裾にあったりすると、その都度、僕は彼らの顔を思い出した。

やがて緑の多い平野部に出た。オリーブ畑が連なる。ぶどう畑もある。ちらほらと畑で働いている農夫の姿も見える。

2時間走ってターラントに着いた。

ターラントはイオニア海に面する人口20万人の都市で、観光面でさして見るべきところがあるわけではない。なのに僕がここに来たについては、三つの理由があった。

ひとつは、幼い時代の僕の憧れの名将ハンニバルゆかりの土地だから。二つ目はここがイタリアの軍港で、1940年のイギリス空軍に爆撃された時のことが僕の記憶に鮮明だから。そして三つ目は、ターラント美術館にある美しい女神像に僕が惚れこんでいて、一目そのお方にお目にかかりたいから。

ターラントの歴史をふり返る。

ここの歴史は紀元前8世紀まで遡る。ギリシャのスパルタから多くの植民者がこの地にやってきて都市を築いた。その町はギリシャ神話の英雄ターレスの名を取り「ターレス」と呼ばれた。

紀元前2世紀にローマがここを制圧した。ローマ人はアッピア街道をここまで延ばし、さらにアドリア海のプリンディジまで進出して東方への軍港とした。だから、カエサルもアウグストゥスもこのターラントを通ったことになる。

ローマの時代、この町は「タラントゥム」と呼ばれた。「タラントゥム」と言うと僕の頭には反射的にカルタゴの名将ハンニバルの名が浮かぶ。彼は37頭の像と4万の軍勢を引きつれアルプス越えをしてイタリアに侵入、南下してここに拠点を構えた。

しかし、時利あらず、12年後に彼は空しく祖国カルタゴへ戻る。その時、ローマ軍の目をくらませるために、軍船をいまの旧市街の丘に引っぱり揚げ外海へ脱出させた彼の話は、戦さ好きだった少年の僕の心をわくわく躍らせた。

ターラントは、旧市街を挟んで内海(マーレ・ピッコロ=小さい海)と外海(マーレ・グランデ=大きい海)に分かれる。天然の良港だ。ために漁業が盛え、戦略的にもイタリアの重要な軍港とされた。19世紀の終わりには、戦艦を内海に入れるために旧市街の半島を掘削して運河を作ったほどだ。

第二次世界大戦中の1940年、この軍港がイギリスの空母の艦載機に攻撃された話は有名だ。空母から発進したイギリス軍機は第一波、第二波と攻撃を仕掛け、ここに停泊していたイタリア艦船に爆弾や魚雷を雨あられと落とした。これによって、イタリア海軍の主力船である三隻の戦艦が大破された。以後、イギリス海軍はアドリア海の制海権を握ることになる。

この奇襲攻撃はその後の海軍のありようを大艦巨砲主義から航空主力主義へと変えさせるきっかけとなった。戦時下、僕は海軍兵学校に籍を置いていたからターラント空爆のこの話は頭に刻みつけられている。

そう言えば、山本五十六の真珠湾攻撃はこの話にそっくりだ。日本海軍が魚雷に改良を加え低空で魚雷を投下させてアメリカ軍艦を真珠湾に沈めたのは、このターラント空爆に学んでのことであった。

とんだ生臭い戦争の話となったが、ともあれ、僕はホテルに向かう途中で運ちゃんに頼んで軍港を見た。小さな軍艦が沢山浮かんでいた。どの艦もみんなグレイの色に塗られている。

僕は舞鶴で日本の自衛艦を見たことがあるがそれもグレイだった。軍艦はやはり黒でないと強そうに見えない。軍籍に身を置いた者としては、どうもこの色は物足りない。やはり軍艦は、守るも攻めるも「くろがね」色が良いようだ。

弱そうに見える軍艦は描く気がしないから、軍港手前の椰子の木をスケッチしてホテルに向かった。実はこの椰子の木のスケッチは何を思ってこんなものを描いたのか今もって分からない。マテーラの乾いた風景を見続けて、椰子の緑がひどく新鮮に見えたからか?【つづく】

■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。

著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、 href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。

【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。

石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』

PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。海軍兵学校78期

PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者