PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(5)・イドリス教会とその周辺
2010年07月17日 09:10 JST
イドリス教会とその周辺(サッシ群といちばん底部)。画:石川信義 
【PJニュース 2010年7月17日】「サッシ」という言葉はイタリア語の複数系で単数は「サッソ」、これは「石壁」という意味だ。
マテーラの地質は脆い凝灰岩(ぎょうかいがん)から成り、長い自然の侵食によって地面が削り取られてグラヴィナ渓谷となった。渓谷の斜面には幾多の洞窟が出来、先史の旧石器時代にはもうこの穴に人が住みついていたという。
やがてこの土地は、他の南イタリアの地と同様に、ギリシャ人の支配するところとなる。この時期、ターラント湾の二つのギリシャ人植民地都市、メタポントゥム(Metapontum)とエラクレア(Eraclea)の住民の一部がここに入って来て住んだ。マテーラという名前は、この二つの都市の名前の頭文字を重ねて(Mat-Era)となったと聞いた。
その後、8-9世紀から12-13世紀にかけて、トルコやアルメニアからイスラムの迫害を受けたギリシャの修道僧たちがここにやって来た。彼らは洞穴に住んでこの地に沢山の教会を作った。それがみんな洞窟の教会で、その数は130を超えている。
今に残る洞窟教会の壁には、ビザンチンやロマネスク様式の往時のフレスコ画が見られる。
16世紀になるとこの地はナポリ王国の支配下に入り、商業や農業が盛んとなって人口が7000人から1万2000人にも達した。この頃から住民の間に貧富の差が進み、富んだ人は高台に貧しい人は洞穴に住むという構造が出来た。
この傾向は時代が進むにつれて顕著となり、洞穴に住む貧農や労働者の生活状況は時とともに悪化の一途を辿った。
第二次大戦前、グラヴィナ渓谷の住民の殆んどが小作農民だった。彼らは数軒単位のヴィチナーティ(コミュニティ)を作り、共同の井戸や中庭を設けて洞窟住居を幾重にも重ね合せた。自然、屋根が道となる。鶏や豚や山羊などの家畜とひとつ穴で暮す住居は不潔を極めた。グラヴィナ渓谷は汚れ、やがてマテーラのサッシはマラリアが猖獗(しょうけつ)を極めるようになる。
この非衛生的なサッシ群は「イタリアの悪夢」と言われた。その悲惨な生活ぶりをレーヴィがその著書「キリストはエボリに止りぬ」の中で迫真の力で書き綴った。
この本に触発されて、第二次大戦後にイタリア政府当局が動き出す。政府はサッシに住む人達に向って不潔なこの土地からの退去を求め、新市街に彼らの住居を作って移動させた。この強制退去で、2万人が住んでいたサッシ群は無人の廃跡になった。
2万人もの“町”が忽然と姿を消して廃跡となる、こんな例は今世紀で世界のどこにも見られなかったことだろう。
マテーラのサッシ群はその後も長いこと見捨てられ、野犬だけが無人の廃跡をうろついていた。ところが、1976年に至ってマテーラ市当局が無人のサッシ群に目を向けた。
グラヴィナ渓谷の斜面に累々と折り重なる洞窟住居、そして古いテンペラ画の残る幾多の洞穴教会、これらを観光スポットにしようという企画を立てたのである。
その企画は功を奏した。マテーラの町全体が世界遺産に登録され観光客がこの町を訪れるようになった。現に、この僕もその観光客の一人となって、いま廃跡の土地に立っている。
僕はサッシを縫うジグザグの「屋根の道」を下降し、いちばん渓底のイドリス教会を目指した。教会を近くに見降ろす場所まで来た時、僕は立ち止りいま降りてきたサッシ群を振り返った。
そこから見上げる廃跡の洞穴群はひどく無気味だった。大勢の小悪魔が真黒な口をガーッとあけ中空に向かって吠えているように見える。
下を見るとイドリス教会だ。
教会と言っても岩山を刳り貫いて作られたものだから、ただの無骨で巨大な岩の塊に過ぎない。てっぺんに十字架が立っているので漸くそれと分かるだけだ。
この荒々しい岩山の上に立つ十字架は、キリストが磔刑に処せられるあの凄惨な場面を僕に思い起させる。
上と下、この二つの光景を見たらその場を動けなくなった。それで、僕はふーッと大きな溜め息をついてリュックからスケッチブックを取り出した。
サッシ群をふり返り仰いだ光景と、イドリス教会を見降ろす光景の二つを絵に描いた。
描いている間じゅう、南部イタリアの強い陽光が僕の腕をチリチリと焼いた。
また、絵筆を走らせている間じゅう、マテーラについてレーヴィが描写した陰惨な光景が僕の脳裏に浮かんでは消えた。このサッシ群に極貧の小作農民がまだ住んでいた頃の光景だ。
やや長文になるが、その叙述の一部を以下に紹介しておきたい。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
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