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PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記 - イタリア南部・スケッチ編(3) バーリ旧市街の路地裏
2010年07月15日 15:03 JST


バーリ旧市街の路地裏。画:石川信義 

【PJニュース 2010年7月15日】二枚目のスケッチは、バーリの旧市街、狭く入り組んだ露地裏の一角で描いた。こういう露地やマーケットの絵を描くと、「このてのスケッチなら君の絵は安心して見ていられる」と「長野君」からいつも同じ返事がくる。

彼の言葉は、「君は露地やマーケットの絵を描くのが巧いね」と褒められているのか、それとも、「それ以外の君の絵はとても見られたものではない」と貶(けな)されているのか、どうも僕にはよく分からない。

ところで、この「長野君」なる名前は「昔とんぼの旅日記」にもよく登場したし、拙著「鎮魂のカラコルム」の前書きにも出てくる。そもそも、「長野君」とは何者?

この「イタリア南部・スケッチ編」では、より一層彼の名が頻繁に登場することになるので、彼が嫌がること請け合いなのだが、彼に断りなしに僕と彼との関係をいささか余談だが説明させていただく。

彼とは、旧制第二高等学校の時代、今から62年前以来の友人だ。二人とも文科独法クラスだった。でも同窓とはいえ、二人で顔を合わせる機会はあまりなかった。寮も別だったし、お互い授業も殆んど出なかったからだ。

私は始めの一週間こそ授業に出たが、あとは出席をご遠慮した。厳格な両親の監督から開放されて自由な寮生活を満喫し、破れ帽子に破れマント、荒縄でくくった本を肩に仙台や東北の地を朴歯(ほうば)打ち鳴らして放浪をしていた。殆んど無銭旅行だ。

長野君は長野君で、授業そっちのけで自室に立て籠もり哲学の思索に没頭していた。天井から胡瓜をぶら下げて一週間もそれと睨めっこだ。「存在とは何ゾヤ?」。

そんなわけで学校には二人とも全く御無沙汰だったから、期末試験の成績ではビリとブービーを二人で争った。しかし、同じどん尻同志でも僕は徘徊行動派で彼は瞑想思索流、お互い親しく話す機会もなく時は流れた。

僕が彼の存在を身近に感じるようになったのは、それから二十数年も後のことだ。

あれは、ベトナム戦争が終わりを告げた直後だった。僕は二高のクラス会の席上で久しぶりに長野君と顔を合わせた。みんな夫々が各界で中堅として活躍をしている年齢に達していた。

彼は東大の美学を学んだのちNHKへ入社、奈良支局員を振り出しに長いことジュネーブの特派員を勤め、ベトナム戦争の頃にはサイゴンやプノンペンの特派員となっていた。そのクラス会は、多分、彼がベトナムから帰国したばかりの頃だったろう。

さてその独法クラス会なのだが、夜になって全員相乱れる大乱闘となった。口火をつけたのは長野君だ。

Sが居た。彼は東大から大蔵官僚となり出世街道まっしぐらで、当時は道路公団のお偉いさんとなっていた。

そのSが得意満面で自慢話をやり出した。

俺はなァいま日本改造の大仕事をしている。何百億の高速道路を作らせてな‥‥、しかじか、云々。

とたんに長野君が噛みついた。

「やい、Sッ、お前さんの金でもねえのになに血迷ってやがる。えッ、昔のお前さんは何処言っちまったんだよ、この唐変木のおたんこなすッ!」

これがきっかけでお互いに怒鳴り合い、とうとう襟首つかんでの揉み合いとなった。

僕はと言えば、Sが大蔵省で自治労の委員をしていた頃に、僕は会社を辞め医師転身のための受験猛勉強中で、「俺は労組で頑張るぜ」とSが言えば「よしッ、俺も医療で頑張る」と僕が言い、肝胆相照した時期があった。だからSが得々と自慢話をしている間じゅう、「Sの野郎、節を曲げやがった!」と僕も腹を立てていた。

つかみ合いが始まるや行動派の僕はすぐに立ち上り

「この変節野郎のおたんこなすッ」と怒鳴って取っ組み合いをしている長野君に加勢をした。

「腕力沙汰で来るなら来いッ。喧嘩なら誰にも負けねぇ!」

次いでSにも加担する奴も出てきて一座騒然となった。喧嘩に加わる者、止めに入る者、野次る奴、逃げ出す奴、もうしっちゃかめっちゃかだ。

全員疲れ果てて寝入ったその夜、僕と長野君は枕を並べて夜が白むまで話をした。

彼は、報道するべきだという思いとそれを阻みたい権力との狭間に立って、ひどく悩んでいるようだった。NHKを辞めようかな? そんなことも洩らした。僕も精神医療の仕事で権力の壁にぶつかっている時だったから、彼の話は身にしみた。

「長野君には一本しっかり筋が通っている」、とその夜僕は感じた。一方、神経があまりに繊細すぎてこれでは生きるに辛かろうと切なく思った。

その時からだ。僕は彼のことを心中密かに「畏友」と呼ぶようになった。「親友」と言うよりこの方が何故か僕の心にぴったり来る。その証拠に、命令口調で人からなにか言われると反射的に「なにおッ」と反撥する性質(さが)の僕が、彼の言う言葉ならごく素直に耳を傾けるのである。

「旅日記」からとんだ方向にペンが外れた。本題に戻る。

露地裏で、「長野君が安心して見ていられる」と言う「店の通りのスケッチ」をし、新市街のホテルに戻った。

明日は鉄道でバーリからマテーラまで行く。

マテーラ(Matera)を見るのは今度の旅の目的のひとつだ。そこでは洞窟住居の廃跡をうろついて三日間くらいを費やすつもりだ。【つづく】

■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。

著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、 href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。

【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。

石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』

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