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PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記 - 北ベトナムとラオス北部・スケッチ編(21) タイビー祠の鐘楼
2010年05月16日 06:28 JST


タイビー祠の鐘楼。(画:石川信義) 

【PJニュース 2010年5月16日】1月10日(木) 、タイビー祠の鐘楼

川の終点から引き返す段となったら、もう漕がなくともよい。流れにまかせておばちゃんは手と足を休め一息つく。ちょうど良い案配に、さっきの物売り姉ちゃんの舟とすれ違ったので、呼びとめてジュースを2本買いおばちゃんと二人で飲んだ。

彼女が休めるようになるので、僕もすっかり楽な気分となり鼻唄が出た。

「猪牙舟(チョキ)でェェー、さっさァ、行くゥのはァ、深ァ川ァ通いィー、さてェ、上るゥ桟橋ィはあれわいさのさァ、いそォいそォとー」。

深川なんか口ずさんで、すっかり御機嫌だ。おばちゃんが、「それは日本の歌?」と言ったらしかったので「芸者さんの唄だよ」と答えたら、「芸者」という言葉だけは分かって「ゲイシャガール」と言った。やっぱりどうも日本は、フジヤマ、サムライ、ゲイシャガールらしい。

おばちゃんに少々多めのチップをはずんで舟を降りた。そのあと、「タイビー祠(ほこら)」という処へ行ってみた。

ここは、13世紀に元の軍が攻め入ってきた時、対元軍の軍事作戦司令部が置かれたところだ。往時のものは何も残っていないが、鐘楼が大変古いもので面白かった。

その鐘楼は木造二階建てだが、一階部分は柱だけで、10数本もの太い木の柱が立てられている。その柱群の中へ立ったら、深い林の中にいるような気分になった。また、何故かイスラムの木造モスクの林の中に立っているような気分になった。

ちょっと変わった建物を見ると、僕はすぐそれを画にしたくなる。どうせうまく描けっこないのに、僕は地べたにぺたんと腰を下ろし、その鐘楼のスケッチをした。

それにしても、どうも、この鐘楼の形は僕の頭になじまない。何故こっちの人は屋根の隅の瓦をピンとこう上へ跳ね上げているんだろう。この形は中国の建物にもよく見かける。

僕は奈良唐招提寺の屋根の姿を瞬間思い浮かべてしまう。それと目の前のこの屋根と対比させる。唐招提寺の屋根のあの簡潔、端正、気高さ、これはもう、こんな屋根とは較ぶべくもなく素晴らしい。しかしまあ、民族によって美意識そのものが違うのだから仕方がないか・・・。

そんなことをブツブツ言いながら僕はその鐘楼を描いた。汚い画になった。

僕の気をひいたのは、鐘楼の横の建物に書かれていた四文字の言葉だ。

「宇宙回春」。

ウーン、この言葉はいいなァ! この言葉を見ただけで僕はここに来た甲斐があったと満足した。

夕方、ニンビンの市場に行ってみた。田舎町らしいちいさな市場だったが、子供うなぎやエビや蛙が売られていたりして、魚の入った桶の中を覗き見るだけで楽しかった。

この市場で気付いたのだが、ベトナムの方がラオスよりも物価がよほど安いように思える。一人当たりの所得収入はラオスの方がベトナムよりずっと低いはずなのに、物価はかえってラオスの方が高い。

これは単なる僕の推測に過ぎないが、ラオスは人口が少ないうえに購買力が低いから、かえって流通商品の値段が高くなってしまうのかもしれない。あるいは、自国生産品が乏しく、みんなタイやベトナム商品の輸入に頼っているからでもあるか?

そんなことを考えたので、この市場では、ラオスで出会ったあの顔この顔が僕の頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えた。

古来、ベトナム人は教育度が高く、隣国のラオスやカンボジヤ、果てはタイまでも出向いて政治・経済の中心部で仕事をした人が大勢いた。そんなことをどこかで読んだ記憶がある。そう言われれば、確かにベトナムの人は機敏で目はしの利く顔をしている。それに比べれば、ラオスの人はのんびり顔だ。

しかし、僕はラオス人のちょっと間がぬけたような人の良さや純朴さの方がベトナムや中国の人よりもずっとずっと好きだ。

もうひとつ、この市場で気づいたこと。

ハノイでもここでも、アオザイ姿の女性を殆んど見かけない。これはどうしたことか。

世界の女性の民族衣装のなかから優美華麗なるものを挙げよ、と聞かれたら、僕は無論「日本女性の着物」と真先に答えるが、二番目は? と問われたならば「アオザイ」と答えたい。そのくらい僕はアオザイという衣装を買っている。

雨のホーチミン市ではアオザイ姿の女性がむしろ多いくらいだった。なのに北ベトナムではアオザイ姿がひどく少ない。何故? ひょっとすると北ベトナムでは、アメリカとの戦でアオザイどころではなく女性がみんな戦闘服に着替えた、その名残りがいまも尾をひいているのかもしれない。アオザイと戦争、これほど似合わないものはない。日本も戦時下では着物からモンペだった。

ベトナム戦で銃を把んだ女性兵姿の凛々しさは記憶に深い。いつかアメリカ製ベトナム映画で見たベトナム女性扮する狙撃兵、あの姿は忘れられない。

でも今はもう平和だ。平和な時代なんだから、ねぇアオザイを着て下さいよ。アオザイ奨励のビラを配りたくなった。

ハノイなんか見ていられない。バイクの排気ガスを防ぐためか、バイクに乗る女性の二人に一人はサングラスにマスクだ。月光仮面? やめてよォ。

夜は再び眩い露路をうろつき、やっと一軒の食堂を見つけた。

卵と野菜のスープ・野菜の揚げ春巻・エビのバター焼き・豚と野菜の炊飯・マンゴジュースで、しめて五百円也。

明日のハノイ行きのミニバスの予約をフロント氏に依頼する。乗車賃五百円、朝9時半出発、遅くとも午前11時までにはハノイに着くよし。

明日は午後一杯を「革命博物館」で過ごす。そして明後日、ホーチミン廟に詣でてこの旅を終わる。

22日間に亘る旅が終焉に近づきつつある。【つづく】

■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。

著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、 href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。

【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。

石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』

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