SakuraFinancialNews

PJ: 三田 典玄

霞が関ビルを作ったのは台湾人だった?
2010年08月09日 06:33 JST


郭茂林氏。日本の超高層ビルプロジェクトのほとんどに関わって大きな力を発揮している。(撮影:三田典玄 2010年8月7日 アルカディア市ヶ谷にて) 

【PJニュース 2010年8月9日】8月7日、台湾科学技術協会主催で、台湾人の著名建築家郭茂林氏を囲む記念演講会が、東京・市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷」で行われ、台湾日本の双方から約90名が参加した。

この講演会では郭氏が日本当統治時代の学生の時代からの歴史を綴ったドキュメンタリー「巨塔の男 - 郭茂林」が上映された。台湾人の優れた建築家として日本で郭氏が活躍するまでを描いた物語だ。郭氏には、学生時代から多くの台湾人、日本人の優れた師があり、郭氏はその師のもとで、さまざまな勉強をしてきたこと、他の設計者のまとめ役となって霞ヶ関ビルを設計したときのこと、浜松町の世界貿易センタービルを設計したときのこと、新宿副都心の超高層ビル街の構想・設計、池袋のサンシャインシティの構想・設計をしたことなどが語られていて、非常に興味深い映像の数々が披露された。「巨塔の〜」とは、日本ではじめての超高層建築となった霞ヶ関ビル、そして、その後郭氏が手がけた多くの超高層建築のことを指す。日本では関係者の間でしか知られていないが、東京のほとんどの有名な超高層建築に、郭氏はプロジェクトリーダーとして深くかかわってきた。

講演が終了すると、郭茂林氏ご自身のご挨拶があった。90歳になるという先生だが、時間を超過するほど元気に思い出話を語った。参加者はその興味深い話に聞き入った。

郭氏は自身の挨拶の中でも、また映画の中のインタビューでも「ぼくは一人ではなにもできない。専門の人たちの力をまとめただけなんだ」繰り返す。なによりも郭氏本人にそう言わせるその人柄、そして優れた理解力と表現力が、建築家としての郭氏に、巨大なプロジェクトを引っ張るちからを与えた。郭氏には、巨大プロジェクトの中心となる人間の人格がいかにあるべきか、ということを見ることができるのではないか。郭氏は戦後の高度成長期の建築家として、日本、台湾という国の国民性に非常によく合った、優れたリーダーであり続けたと言えるだろう。

郭氏の挨拶に続き、制作中の映画「映画郭茂林 - 90歳・台湾人建築家の今」の一部が上映され、その監督をした酒井充子氏が挨拶した。

※本記事はPJが取材し台湾新聞の記事として書かれたものです。台湾新聞社の許諾を得て掲載しています。【了】

■関連情報
PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。

PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者