PJ: 三田 典玄
日本のIT業界はなぜダメになったのか
2009年12月28日 09:30 JST
2002年に北京で見た中関村の開発計画模型。現在はこの計画により、全中国の国立大学の優秀な研究者がこの新しい研究都市に集まっている。マイクロソフト社の中国の研究所もここにある。(撮影:三田典玄 2002年2月27日) 
【PJニュース 2009年12月27日】周りを見れば、まさに死屍累々、という感じだ。なんの話かといえば、日本のIT業界である。世界最先端と言われた「ケータイ」も、いまや日本のものは日本人の間でも「ガラケー(ガラパゴス・ケータイ = 世界の流れから置いていかれたケータイ)」などと言われている。
パソコンやインターネットの世界を見ても日本にはMicrosoftもなければGoogleもない。Googleのようにインターネットの仕事のみであそこまで大きくなった会社も1つもない。さらに、日本国内の開発案件の多くはインドや中国のプログラマーが担っていることも増えた。日本人では人件費が高すぎるからだ。韓国の技術者、インドの技術者、中国の技術者と何回か仕事をしたことがあるが、彼らは総じて非常に優秀で勉強熱心だし、日本にちょっと長くいれば日本の事情もよくわかっている。
また、英語は話せて当たり前なので、仕事の内容を伝えるにもほとんどの場合意思の疎通がうまくいく。例えば日本のプログラマーに小さな仕事を頼むと「3カ月で200万円くらいかかります」なんて言うのを、中国のソフト屋さんに頼むと「1カ月で100万円くらいかなぁ」と見積もりを出してくる。日本国内でさえそんな感じだ。
もちろん、日本国内だけではなく、中国や韓国に仕事を発注する、ということも非常に増えたことは言うまでもない。そのほうが安く、早く、品質の高いソフトができるからだ。
世界から日本を眺めてみれば、この20年間、IT関連では日本で発明されて世界を席巻した革新的技術は全くない。この日経ITProの佐藤氏の話に、私も同意する。
池田信夫氏のスパコンに関する話もうなずける。まさに、日本のITは「ITゼネコン」に食い物にされている、とPJも感じる。加えて「新しいことはやらなくていい。新しいものがやってきたら対応すればよい」という受け身の姿勢で、日本のIT業界は「安全」を求め、自己の革新を怠ってきた、といってよい。
PJの周りにあるさまざまなIT企業を見ていると、まず2008年には50人くらいまでの社員を抱えるIT企業が軒並みいなくなった、と感じる。また、2009年に入って1000人前後かそれ以上の企業が大幅な人員減を余儀なくされているように見える。
10年以上前、中国共産党の重鎮、肖向前氏(2009年8月に没)とお仕事でお会いした。すでに高齢で中国共産党を退職した後だった。北京飯店の日本食居酒屋で数人で酒席をともにした後、彼は2人のSPが立つベンツの前で、帰り際に私の手を強く握って「三田さん、これからはコンピュータの時代です。今後ともよろしくお願いします」と、言っていた。当時は日本の政治家から「コンピュータ」などという言葉がほとんど出るような時代ではなかったし、当然「IT」などということばもまだなかった。この差に愕然としたPJは、当時そのことを多くの人たちに語った。
高齢の中国共産党の重鎮はその頃から「コンピュータ」を重く考えていた、と私には感じたし、実際、その気配は北京の街中にもあった。今はもうきれいで大きなビルが立ち並んでいるが、当時でも中関村には秋葉原よりも長く広い(なにせ端から端まで歩くと20分くらいかかる)中央通り沿いに、多くのPCのショップが並んでいた。ほとんど台湾製のPC部品を売る店であり、ここを見る限りにおいては、当時から言われていた中国と台湾の確執などはまったく見えなかった。なにしろ、中国政府内の役人が「どうです、このPCはすごいでしょう!」と見せてくれた自分用のPCはacer(台湾)製だったのだから。
日本に帰って考えると、中国がやがて経済もITも日本以上の力を持つことは当然のことのように思えた。特に台湾資本と中国の安い労働力が一緒になると、世界に影響力のある大きなパワーになる、と私は言った。当時それを言うと、ほとんどの人が「そんなバカな」と言っていたが、実際にこの目で見てきたことから感じたことは、この十数年のあいだに現実となった。2008年の日本から中国へ直接投資額はおおよそ300億ドル台半ば。台湾から中国への直接投資額はその倍ある。加えて、台湾から中国へ迂回されたものも含めると1000億ドルを超えている。
日清戦争、日露戦争などで軒並みの「勝利」を得た日本は、結局その先に自らの行く道を見失い、努力も怠り組織も国も疲弊した。そこに世界不況の波がやってくると「それでも日本は一番なのだから」と、自らの至らないところや悪いところは見ないようにして「保身」のことしか考えないトップが増えた。経済の破綻は何度か必死になって食い止めたものの、最後は世界戦争の波の中に自らを放り込まざるを得ず、日本人のモノにも心にも、大きな傷を残した。このとき命を賭して日本を救った多くの政治家を軍部が軒並み暗殺した。
戦後、一度は経済での興隆をなんとか成し遂げた。しかし成し遂げた成功の体験から抜け出せず、日本はふたたび安堵に満ちた「バカものの楽園」の中に今日に至ってもいるのではにだろうか?。「自分が一番」というバカバカしい幻想はそれほどに日本人にとっては心地よいものであったらしい。
いま、成長著しいと言われる中国でさえ昨年のリーマンショック以来、多くの蹉跌を踏みつつ、なんとか成長を維持している。日本人も「自分が一番幻想」ではなく、世界全体の姿をこの目に刻んで、世界の中で生きる自分の役割を考えないと、この先は無いだろう。【了】
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