PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記「開かれた医療へ」(12) 日本での精神病者の受難(その4)
2010年08月07日 14:40 JST
(画:石川信義) 
【PJニュース 2010年8月7日】70年代も初めの頃、いくつかの家族会が自分たちの住む町で“精神障害者共同作業所”を作り始める。
「いつまでも鉄格子の中へ子供を置きたくない。病院は当てに出来ない。それなら自分たちが力を合わせて子供達を町で支えてみようではないか」。そんな思いが彼らの設立の動機であった。
彼らは町なかに小さな家や古倉庫を借り、そこで数人の患者とともに箱詰めなどの手作業を始めた。無論、それは行政の援助もない貧しいなかの手弁当で、加うるに地域の人の冷たい目もあったから、大変な忍耐と根気のいる仕事であった。
ところが、始めてみると子供達が安定した。彼らは働くことに誇りと生き甲斐を見いだしたし、そこで仲間を得て互いに支え合った。彼らの表情に生気が蘇り、驚いたことに、途端に彼らの再発が少なくなり再入院もしなくなった。
成果は歴然であり、この成果は家族会から家族会へと伝えられた。「それなら私たちのところでも」。こうしてこの共同作業所作りは、全家連の全国的運動となって各地に拡がっていった。
数字で示そう。1975年にはたったの4ヶ所に過ぎなかった作業所が、80年に31ヶ所、85年に185ヶ所、90年に430ヶ所、95年に950ヶ所となり、そして現在は1400ヶ所を超える。
この数字を見ると、家族の血の滲むような努力と子供達をなんとか地域で支えたいという熱い思いが、こちらにじんと伝わってくる。同時に、この運動を尻目に見ていた精神病院の自堕落さ加減も目に見える。
「家族がひき取らないしね。患者は病院に置く方が幸せなんだよ」。したり顔でそんな言葉を平然と口にする精神病院経営者が今もなお結構いるのである。
全家連のこの「共同作業所運動」をこう評価したい。
その運動は、単に精神病者を地域で支えたというだけのことではなかった。それは、「精神病者はかく見なければならない」という新しい視点を、国や精神医療者に与えたことに大きな意味があった。
共同作業所での彼らは、“病者”ではなく“生活者”として登場した。その姿は精神病院での彼らの姿とまったく違っていた。その明らかな違いが国や精神医療者の眼を開かせたのである。
「精神病者を見るに、その病的状態に視点を当てて治療するだけではだめだ」「“人間”としての患者に焦点を当て、“生活者”としての視点から彼らを見なければならない」。
一言で言えば、この運動は、「医療モデル」から、「社会モデル」へ病者の見方を移す運動だったのである。
ここに至って初めて国は、「医療と福祉」の両面から精神医療行政の見直しを図るようになった。「精神保健法」を「精神保健福祉法」に変えたこと、これも国が態度を変えた証である。
蒸し返しとなるが、ここに至る道程はそう簡単なものではなかった。家族会とその支援者の孤独で長い闘いがあった。
はじめ、こうした彼らの姿に地方自治体が応えてくれた。この一部の自治体の動きに促されやっと国も重い腰を上げる。
国は84年度国会予算に「小規模作業所運営助成金」を初めて組み込んだ。その額ははじめほんの申し訳程度のものだったが、「精神病院に福祉的施策が必要」と国が認めたという点でそれは、画期的な出来事であった。
以後、国は助成金額を少しずつ増額していく。また、もっと幅広く大規模授産施設や福祉ホームや授護寮や福祉工場などの福祉施設に対しても設立援助や運営援助の予算措置をとるようになる。そのうち、6人単位の小規模グループホームにまで助成金を出すようになって、「国も変わったなァ」と、こちらがびっくりするまでになった。
ただし、これは地域ケア施設までのことであって、この時期、国はまだ精神病院そのものの“聖域”に手をつけるまでは踏み込んでいない。
国が“聖域”だった精神病院改編に手をつけ、「入院中心主義」から「地域中心主義」に向かって、単なる謳い文句ではなく、現実的な具体的政策を打ち出し始めたのは今から9年くらい前からのことである。
その第一弾として、保険財政面から国はその施策を打ち出した。財政政策で地域中心の方向へ精神病院を誘導しようというわけだ。
例えば、患者を地域で支えるための訪問看護やデイ・ナイトケアの保険単価を思い切って大幅にアップした。それは、地域に出した長期在院者をそこでケアすれば、退院による入院料の減少分をそこそこ補填できるほどの気前よい引き上げであった。
この処置のおかげで、入院者の「地域化」を志向する病院が財政の面で助けられ格段と動き易くなった。昔では考えられなかったことである。
また、国は97年に「急性期治療病棟制度」を新設した。急性期治療病棟とは、入院者を3ヶ月以内に退院させることを前提としており、濃密なスタッフ配置を前提にかなり高額な医療費を支払うというものである。
この制度は、最先端に立つ高度地域拠点精神病院を育成し、在来型病院の長期在院者の再生産にストップをかける、そんな意図をもっていた。たしかにこの制度は精神病院の淘汰・再編につながる。なんと言っても精神病院再編には経済政策を使っての誘導がいちばん効果的だ。
これら一連の国の施策の中で最も注目すべきは、96年に登場し、2000年に「福祉法」で法制化された「精神障害者生活支援センター制度」だろう、「生活支援センター」とは、精神病者の職能訓練や就労援助や住居斡旋など、生活に関するあらゆる支援を行う施設である。
これが、地域の中心機関となり、病院・共同作業所・共同住居・地域企業などを結合させる役割を果たせば、優れた精神医療の地域ネットワークが出来上るに違いない。「開かれた精神医療」構築の鍵は、まさにこの「地域生活支援センター」の活動如何にかかっているように思える。
2001年までにこのセンターを国は650ヶ所設立する目標を立てたが、実際は250ヶ所しか達成できなかった。目下の焦眉の急の課題は、「国が惜しみなく資金を投じ」、全国各地に生活支援センターが網の目の如くはりめぐらされる状況を早急に作りあげることである。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
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