PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-イラン編(61・終)
2009年12月22日 12:10 JST
(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年12月22日】その七。これで終わりだ。
僕の体は、確かに刻々と老化が進んでいるみたいだ。体がギクシャク痛んだ朝もそう思ったし、歩き廻ったり階段でハアハア息切れした時も、そう思った。相当にひどい。この体で、一体いつまで旅が続けられるのだろう。
「始めがあれば終わりがある。だが、俺の旅はまるで終わりがないみたいだ」、以前はそう思った。だが俺にもいつか終わりが来る。そうも思い、いやいや俺は老いさらばえ足はヨタヨタになっても旅は続けるぜ、そうも思ったりして、自問自答しながら今度の旅をした。(だいたい、こんなことを考えながら歩くこと自体が、老いた証拠だ!)
でも、あまり大仰に、老いた、老いたと言ったって始まるめえ。淡々と我が道を歩こう。ちょっとキザったらしく言えば、「自分らしく。黙って。倒れるまで」。
いま、ホテルの小さなサロンでイランティー紅茶を飲みながら、これを書いている。もう時計は10時を廻った。
実はバザールから戻ってこのサロンで、例の謹言フロント氏としばらく話をした。「今日は何処へ行かれましたか?」と聞くので、国立考古学博物館と答え、買い求めてきた絵はがきを見せた。そうしたら彼はその中から一枚を指さして、「貴方はこれに興味をお持ちですか?」と聞いた。「この犬は何んだァ?」と博物館で言ったペルセポリスの犬の写真だ。
「この犬はペット愛玩犬ではない。王が威を張るための飾り犬だったんでしょ?」とあそこで考えたままを言ったら、フロント氏はひと膝のり出して、「貴方は間違ってます」「ミスアンダースタンド」と言い、それからこのサロンの椅子に僕を座らせてこの犬の説明をおっぱじ始めた。彼は大の愛犬家だったのだ。その講釈によると、
この犬は王が狩りに用いた。当時の狩りのやり方は、鷹が獲物を見つけこの犬が追いかけて弱らせる、そこを仕留めた。野兎、狐、狼など。もともとこの犬は狩猟犬で狩りには欠かせない友人だった。アッラーは、「これは犬ではないぞ。お前たちの喜びのための神からの贈り物だよ」とコーランでおっしゃっている。
それから彼は、こっちがびっくりしてひっくり返るようなことを言った。
この犬は、1700年代にアラビア馬と一緒にイギリスに渡った。双方とも改良を重ねられ、アラビア馬は競馬用のアラブに、この犬はドッグレース用のサルキーとなった。ドッグレースの犬は、これが先祖なんだよ。
えーっ、ドッグレースの犬がこれ? だって似てないじゃない? こっちのは雌ライオンみたいだし、サルキーはもっとほっそりでしょっ。
僕はマカオへ行くと必ずドッグレースを観に行くし、どの犬が一番速く走るかまで大体わかるサルキー通なのだ。
「似ていないのは改良されたからですよ。改良・・・・」
そうフロント氏は断じて、サルキーは普段は従順でおとなしいけれど、気位の高い野性の血が残っていて、獲物をみつけると主人の言うことをきかなくなり、主人ほっぽらかしで我を忘れて追いかけていってしまうので困る。けれど、改良されても血が残っているのは嬉しいです、と言い、あれは昔が懐かしくて血が騒ぐんだネと言った。
この話を聞いたらサルキーが可哀そうになった。ドッグレースでハム肉の匂いを撒き散らして走る兎模型を、猛烈なスピードで懸命に追いかける姿が一瞬目に浮かび、あの姿はサルキーが昔に還りたい姿だったのだと思った。人間は少々残酷だ。山野で自由に走らせておいてやればいいのに。
いや、可哀そうなのはサルキーだけではない。愛玩犬はどれも人間の都合でご先祖様とは似ても似つかぬ姿に「改良」されてしまったものが多い。猫の御先祖を見るがよい。どう見たって、こたつで丸くなる顔じゃァない。動物は、元祖の姿をいび歪つにされて少しつらいだろう。おまけに、人間の見得で着たくもない洋服なんぞ着せられて、着せられる方はいい迷惑だよ。
謹言フロント氏にそれを言ったら、彼は、「家族同様に思って可愛がるからそうするので、それが犬にとって幸か不幸か一概には言えません」、と優等生の答え方をしてフロントに戻っていってしまった。
少しオダをあげ過ぎたようだ。
部屋へ戻って囲碁の勉強でもして眠るとするか。
参ったなア。部屋へ戻って、寝る前の歯磨きをした。歯磨き粉の感触がいやにネトッとしている。変だなァと思って気がついた。顔のクリームを歯磨きチューブと間違えて歯を磨いていたのだった。やっぱり、脳の老化が進んでいるんだァ。
旅のまとめ、そんな偉そうなこと言っても駄目だ!!
5月29日。土曜日の午後8時。
テヘラン空港の待合室でこれを書き継いでいる。午後8時発のはずが大分遅れるらしい。さすがイラン航空だ。堂々と遅れる。イニシアラーだ。
今日は、あの大バザールをぶらついただけでホテルへ戻ってきた。大変な人出で、すごい熱気だった。このバザール、今日も迷いに迷って、ただやみくもに歩いただけだ。でもあそこは、歩いているだけで、いや迷っているだけで充分に楽しい。最後のイランの空気を存分に吸ってきた、そんな気分だった。
たった今、搭乗開始の放送があった。どうやら、9時には飛ぶらしい。
この飛行機、礼拝時間に機首をメッカの方向に向けるだろうか。今夜はしかと見届けよう。
よい旅であった。ぺンを収める。【了】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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