PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-イラン編(29)
2009年11月20日 07:00 JST
(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年11月20日】それにしても、イスファハーンの川辺と言い。ここの噴水広場と言い、夜になるとイランの人々はみんな夕涼みの散歩に出て、団欒(だんらん)のひととき一刻を楽しんでいる。イランの人の心には、それだけゆとり余裕があるということだろう。ここの人たちは心が豊かだ。
昔の日本もこうだった。夕涼みの縁台で親父どうしは将棋を指し、カミさんどうしは世間話、子供たちは子供たちでそのまわりを鬼ごっこ、そんな風景が日常だった。団欒の時をそれぞれバラバラ勝手にテレビやパソコンにしがみついているいまの日本の人の姿をふと思い浮かべた。日本人はいったいどうなっちまったんだ。
ホテル近くまで戻って来たら、向こうで、すごい喚声が上っている。ワーッと言う声だ。なにごとナラン、と立ち止まっていたら、その大声集団がこちらへ向かって来た。旗が何本も振られている。デモかな? 瞬間そう思ったが、それはオートバイの大集団なのだった。道一杯をオートバイで埋めつくして、それがみんな2人乗り、3人乗り、中には4-5人乗りの若者たちだ。彼らは一斉に叫び声をあげ、旗を振る。えらい騒ぎだ。ホンダ・スズキ・カワサキ・・・・オートバイの数は千台できかなかったろう。
前を走り抜ける時、彼らは僕の姿を認めてますます勇み立つ。作務衣(さむえ)姿だからなおさらだ。ワーッと手を振る。中には、「サムライーッ」、「カラテーッ」なんて叫んで行く奴もいる。わざわざバイクを止めて、「一緒に乗れッ」と言う奴もいた。乗れって言ったって、もう3人も乗っているのだ。
このオートバイ行進、一体、何だったのか、今もって分からない。イラン版暴走族かな? でも彼らの顔はみんな笑っていた。
それにしても、こういう時の若者のエネルギーはすごい。これを見て、二高時代の街頭ストームを思い出した。みんな、意気天を衝(つ)くの勢いだった。対水高戦で仙台から水戸まで遠征した時のこと。戦災から復興したばかりの水戸駅前で、破れ帽子に黒衣(マント)と朴歯(ほおば)、太鼓打ち鳴らし蜂章旗打ち振って「戦イ勝テリ」で踊り狂った。バスも電車も停めた。水戸の連中がそのバンカラぶりに目を丸くしていた。
あのころは、当たるところ敵なしだった。明善寮の前に煙草のバラ売りをしてくれる店があって、真夜中に煙草が切れたので「煙草を三本下さい」とその店の親父を叩(たた)き起こした。「夜中の二時だゾ、三本くらいで起すなょ」と親父が文句を言ったので、「あいつモーカツ(猛喝)ダッ」とみんなで梯子(はしご)を担いでいってその店の屋根に登り、「煙草屋」という看板を外そうとした。「それだけは勘弁して下さい」と親父が謝ったので、その場で「戦イ勝テリィウマザケェヲーッ」とストームをやって引き揚げてきた。めちゃくちゃだった、あのころは。
若者の大暴れを見て、昔を思い出しながらホテルへ戻った。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。海軍兵学校78期
PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。

