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PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記-イラン編(25)
2009年11月16日 08:24 JST


ザーヤンデ川のスィー・オセ橋。(画:石川信義) 

【PJニュース 2009年11月16日】ソファに腰かけて、話を聞いた。

「僕は神奈川県の相模原市に住んでいます。この旅が終わったら、将来のことを考えようと思います。警備の仕事はこの旅行の資金作りのためでしたから・・・・」

「なにか物を作る職人になりたい。看板屋のアルバイトをした時はとても楽しかった。物を作る仕事はいいですよね。この年になっての物作りでは、修行に何年もかかるだろうが、頑張るつもりでいる」

そんなことを彼は言い、僕が精神科医と知ったからか、身の上話を始めた。
「僕は高校中退なんです。兄貴が躁うつ病になって入院しました。いま、兄貴は家から障害者の作業所へ通っています。僕も中学の頃から腰痛がひどくて、あっちこっちの病院を渡り歩きました。両親に心配ばかりかけてきたので、旅から帰ったら、少し安心させる生き方をしないと・・・・」。そう言って神妙な顔をした。

それから彼はさらに神妙な顔をして、「なにか御意見をお聞かせ下さい」と言った。

僕はわざとペダンティック(衒学的)な答え方をした。

「『ミネルバの梟(ふくろう)は夕暮れになって飛ぶ』という言葉が、ヘーゲルの「法の哲学」の序文にある。梟は知性の神ミネルバの化身でね。夕暮れになって飛ぶという言葉の意味は、知性は後に輝きを増すと言う意味だ。君のことで、この言葉を砕いて言えば、物作りの修行を一所懸命やりなさい。体を使いなさい。結果の知はそのあとで必ず生まれてくるということさ」

彼は、ケムに巻かれた顔をして、「そうか、梟になればいいんかァ」と言った。おいおい、フクロウみたいに夜更かししろって俺は言ってるんじゃないよ。話題を変えることにした。

「君の趣味は?」

「音楽が好きです。友達とロックバンドをやってます。エモーション・ハードコア・ロックです。僕はドラムです」

それから二人で音楽談義だった。当然、ロックとラップの比較となる。

「へーぇ、そのお年でラップとは驚きましたァ」と彼。この青年をますます気に入る。話がはずんで、4時になった。

「君、晩御飯おごるから、よかったら、8時にロビーに来なさい」。
「ええ、勿論まいりまーす」

答える声がはずんでいた。ゆっくりお風呂へ入り、それから呉清源大国手の碁の本を読んで、ひと眠りした。約束どおり、8時きっかりに彼が来た。彼をホテル近くの「マハラジャ」というインドレストランへ連れていった。

どんな料理がいい? 魚を久しく食べていませんので、僕、魚が食べたいです。でもいいんですかァ、そんなわがまま言って・・・・。おお、いいんだ、いいんだ。なんでもいいぞ! 僕の頭の中は、彼と、多分「統合失調症」であろう彼の兄の姿がだぶっている。

魚の揚げもの、タンドーリチキン、パコラ、サモサ、トマトスープ、マトン羊のカレー、ダル豆のカレー、ほうれん草のカレー、ナン、それから、ノンアルコールビール。

そうだ。ビールのことを書いていなかった。イランは厳格なイスラム国だから、勿論、アルコール酒は一切飲めない。どんな高級ホテルでもアルコールは一切ない。お酒を飲まない僕には痛くも痒くもないが、お酒好きの人のイランの旅は少々辛いだろう。ノンアルコールビールなら気の利いた店には置いてある。「ビール、好きです」と彼は言った。それで彼にはノンアルコールビール。

彼はそれを一息に飲み干し、出てくる料理を見て、「すごいなァ! 僕、ここんとこ朝晩ともサンドイッチばっかりで、こんなにたくさんの料理はほんとに久しぶりです」と目を丸くした。食うは食うは、彼が料理の大半を食べた。食べながら話した。彼はヨーロッパへ行ったことがないと言う。

「君はこのあと当分旅に出られなくなるでしょ。そんなら、エジプトからヨーロッパへ向かったら? イタリアまで船が出ている。ベネツィア、フィレンツェ、ローマと行って夜行列車でパリさ。そこからスペインだ。アンダルシアを通ってポルトガルへ入り、リスボン。最後は西端のロタ岬までどうだ。もっとも、一日千円じゃヨーロッパでは無理だな。時々、駅で寝袋に寝ればいいかな?」

と僕は無責任なことを言っている。彼はすっかり乗り気になって、三馬身も乗り出してこう言った。

「僕の今の残金は40万円です。僕、日本へ帰る時、当座の生活費として10万円は残しておきたいんです。ヨーロッパへ回るとしてこれだけでは少し無理でしょうか?」と。

声の調子からして、彼はきっとヨーロッパへ向かうに違いないと思った。それで、なお無責任にけしかけた。なに、若いんだからやれるさ。日本へ10万円残して帰るなんて、ケチなこと言いなさんな。すってんてんになって日本へ帰りな。そこから始めろよ。君の新らしい第一歩だろ。

インド料理店を出て、彼をスィー・オセ橋の水煙草チャイハナへ連れていった。昨夜、兄ちゃんたちが手を振った店だ。夜間照明の橋を見るや、彼は感嘆の声をあげた。「きれいですねぇ! イランに来たかいがありましたァ」。こんなで感激するのなら、夜のベネツィア、サンマルコ広場なんか見たらひっくり返るのではないか。

「もし恋人がいたら、こういう所は一緒に見たいですよねぇ!」

そうだね。そうは思わない僕は気のぬけた返事をする。

水煙草も大喜こびだ。「イランへ来たッという感じですねえ。これ、高いんですかァ?」。彼は煙草をのんだことがないというのに、立てつづけにプカプカのんでいる。君、大丈夫か? ニコチンで目を回しはしないかと僕は心配だ。

夜、11時に別れた。ホテルの玄関で、虫よけスプレー、解熱剤と下痢止め、抗生物質の軟膏を彼に与えて、言った。

「体に注意して旅をするんだ」

それから、一場の訓示を垂れた。

「日本へ戻ったら、君の行きたい道を歩き出しなさい。人の一生には必ずいくつかの分岐点があるものだ。思うに君はいまその分岐点に立っている。一度自分の道を選んだら、死力を盡して歩き出すんだ。こうしておけばなァとあとで悔いを残さないように。それで倒れてもいいではないか。倒れるのを恐れて歩かないより君は歩いて倒れろ!」

どうもキザなことを言ったもんだ。でも、僕の言葉を彼は素直に受け取ってくれたらしい。「ハイ、そうします」と歯切れよく答えた。

「お会いできて、本当に良かったです」

旅先で葉書をさしあげたいので、御住所教えて下さい、と彼は言う。切手代がもったいねえよ、いいよ、と僕。固い握手をして別れた。その時、気づいたのだが、後姿の彼は少しガニ股で歩く。素直で実直だが、ぶきっちょな人なんだろう。

寝るとき思った。よい青年に出会った。日本の今の若者も捨てたもんじゃァない。僕は、明朝、この地をおさらばして、ゾロアスターの聖地ヤズドに向かう。【つづく】

■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。

著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、 href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。

【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。

石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』

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