PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-イラン編(19)
2009年11月10日 08:31 JST
ザーヤンデ川のスィー・オセ橋。(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年11月10日】ホテルへ戻って一休み。ベットで一時間ばかりウトウトして、またザーヤンデ川のスィー・オセ橋へ行った。夕刻だがまだ日は高い。対岸の彼方に突兀とした怪異な山が見え、その山と川と橋の組み合わせた風景を、スケッチした。
この橋は長さ300メートルくらい、橋の上下はアーチ構造だが、アーチの数が強迫的に多い。バカなことに、僕はその数を数え出した。橋の下、つまり橋ゲタが33のアーチ、橋の上はあまり多過ぎて途中で数えるのを放棄した。たぶん、100くらいあった。アーチを正確に描いていたら日が暮れてしまう。コチョ、コチョいい加減に描き、適当にごまかして終わりにした。それにしてもイスラム建築はモスクも橋もアーチ、アーチだ。アッラーの神様はよほどアーチが好きなんだろう。
スケッチしていたら、6歳くらいの女の子がのぞきに来た。好奇心いっぱいの表情で、誠にかわいらしい。彼女は、僕のひげと絵をかわりばんこに見る。「サラーム」と言ったら、ピョコリとお辞儀をして、身をくねらせながら小さな声で「サラーム」と言った。顔がニコッとした。照れ臭いのだ。
この冬のラオスの旅では、現地でお世話になった方へのお礼用にと何枚か江戸小紋の「和風ハンカチ」を用意していったが、それが旅の途中でいつの間にか用途が変わってしまった。「これは素適な女性だ。この国の代表選手だ」、そう思った人に差し上げた。いわば、「和風ハンカチ」は僕が与える栄誉の「勲章」になってしまったのだ。今度の旅でもそれを用意してきた。
考えてみると、イランに来てから、まだそれを誰にもあげていない。この子は子供だが女性であることに違いはない。しぐさが素適にかわいいと思ったから、僕はリュックから「和風ハンカチ」を取り出して目の前に突き出した。彼女はびっくりした顔をしたが、自分に与えられるのだと分かったら、顔をクシャクシャにして受け取った。受け取るやすぐに走り去った。
それからものの2分とたたないうちに彼女がまた走り寄ってきて気をつけをし、今度は大きな声で「サンキュウ」と言った。きっと近くにいた母親にハンカチを見せに行ったのだろう。「どういたしまして」と、僕は日本語で返事をする。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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