PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-イラン編(12)
2009年11月02日 10:08 JST
イランのドームにて(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年11月2日】キリスト教も、仏教も、「神対人」の垂直の宗教だが、一方、イスラム教はその垂直軸に併せ、「神のもと人対人」の水平軸をもつ。「イスラム共同体」は、その水平軸の具現化だ。これがイスラムのもつエネルギー力の源ではないか?
僕はイランの人の日常生活のなかに、それがどう息づいているかをこの目で見たい。頭で分かることと、目で分かることとは違うから。
イスラムを理解したい。すすんで我と我が身をなげうつ殉教の心根を、単に狂信者だからの一言で片づけてよいのか? 「テロ集団」「犯罪者集団」と決めつける前に、その行為の意味するところをきちんと考えてみる必要がありはしないか?
たった2週間ちょいの旅で、そんな大それたことが分かるはずもない。だが、これも、イランを訪れたいと思ったひそかな理由ではある。必死の思いでイスラム世界のために闘っている人たちから見れば、こんな旅は殿様道楽のたぐい、いい気なもんだ、と言われるだろう。それは百も承知。(だから「僕のひそかな理由」なのでアリマス)
いや、旅行するのに、第一、第二と理由を並べたてることはない。旅は出たいから出る。旅に出る時は、本当の自分に戻れるから出る。楽しいから出る。時につらいから出る。ただそれだけだ。
「衰骸ノ孤老ハ、ヒトリ終日、異土ヲサ迷ッテ飽キナイ」のだ。
明日はイスファハーンへ向かう。
日中は雲が空を覆っていたから、今夜は星が見えない。昨夜と同じようにコーモリが夜空を飛び交っている。「衰骸の孤老」などと書いたせいか、コーモリを見ていたら元気一杯の少年の頃を思い出した。昔は夕暮れ時となると僕の家の周辺でもさかんにコーモリが飛んだ。
空に向かって石を放ると、落ちる石を追いかけてコーモリも落ちてくる。成功したためしはないのに、そのコーモリを捕まえようと少年の僕は何度も何度も飽かず石を投げ続けたものだ。あたりが真っ暗になるまで走り回った。その時は、鳥や昆虫とはまったく姿の異なるコーモリに、なにか怪しげな魅力を覚えていた。ちょっとゾクッとくるような、怖いもの見たさの興奮だった。
あの頃の日本の自然は豊かだった。空にはコーモリ、土を掘ると滑稽(こっけい)な格好のモグラやオケラが出て来た。オケラを捕らえて、「お前のモンはドレッくらい?」と聞くと「コレックライ」と両手を広げる格好がおかしくて、笑いころげたもんだ。
いまはもう、こういう生き物にめったにお目にかからなくなった。子供たちがかわいそうだ。そんなことをちらっと思って、コーモリにお休みなさいと声をかけて寝た。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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