PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-イラン編(8)
2009年10月29日 08:18 JST
イラン・カーシャーン旧市街。(画:石川信義) 
5月19日。
昨夜、寝るのが遅かったので、今朝は遅くに目覚めた。まずは偵察だと、午前中、ホテルの屋上に登ってみた。
眼下に日干し煉瓦(れんが)の旧市街がぎっしり拡がっている。上から見ると、屋根の格好が面白い。墳墓様の風取り窓が屋根の上に作られている。雨が降らない土地のせいか、風取り窓は大きな穴を開けただけのもので、屋根がまるでパカッと大口を開けているように見える。この穴は屋根を吹き渡る風をとらえて、下の居住空間に風を送りこみ、なかを涼しくさせる仕組みなのだ。この辺りは気温が40度を越える暑さとなる土地だから、この風取り窓は生活の智慧(ちえ)が生み出した天然クーラーだ。
すぐ目の下はバザール、建物は数百年前のものだとフロント氏が言っていた。この屋根も日干し煉瓦でこんもりと丸みを帯びやさしい趣がある。
俯瞰(ふかん)図を一枚スケッチした。気分よく描けた気がする。
午後はそのバザールへ行った。どこまでも続く薄暗い回廊に、店また店、かなり広大なものだ。どこも人の波、活気に溢(あふ)れている。バザールの中央門でまたスケッチを始める。常になくなんという勤勉さだ!
服屋の柱にもたれて描いていたら、店の主人が親切にも椅子(いす)を持ってきてくれた。ティー(紅茶)まで出してくれる。僕は「シュウクレア!」と胸に右手を当てて、イスラム式のお辞儀だ。
午後2時になったら、店はバタバタと閉め始め、人の波が一斉に引いて、バザール全体がひっそりとなった。夕方まで「昼寝の時間」なのだ。人けが無くなって森閑としたバザール通りを、ゆっくりと歩いた。通りはまるで夜になったように、一段と暗い。
中央部と覚しきあたり、左の奥の方を見たら、向こうにぼんやりと薄明るい空間がある。行ってみると、六角形の大ホールだった。真ん中に四角い池がしつらえられている。ホールのぐるりは蜂の巣の案配で二層の小部屋だ。
ここは昔のキャラバン、サライ隊商宿だった所なのだ。一瞬、駱駝(らくだ)を連れた往時の隊商の姿が目に浮かんで消えた。
それにしても、ここはなんと心地よい空間だろう。天窓の明かり取りから柔らかな光線が池の上に斜めに射(さ)しこんでいる。池のまわりにはいくつかの縁台が置かれ、老人が三人、それぞれ黙ってシンシャ(水煙草)をゆったりのんでいる。紫煙がゆらゆらと立ちのぼる。シーンとしている。ここでは時間が止まっている。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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