PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-タイからラオス編(46)
2009年10月17日 07:00 JST
タイ・ナコンパノムの露店街。(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年10月17日】1月13日。
昨夜は、娘さんたちと話しこんで遅かった。そのあとこれを書いたりしていたので、床につくのが明け方になった。そんなわけで、今日目覚めたのは午後の2時。
ナコンパノムの町はほとんど歩きつくした。もう行く処(ところ)がない。こんなことなら、あの山紫水明の地バンビェンにもっと長く居るんだったな。でも、もうそろそろ腰を上げてバンコクに向かわなくてはならない。どうやってバンコクへ戻ろうかな?
列車で行きたいが、ナコンパノムには鉄道がない。
フロントで聞いたら、バスならある、バンコクまで13時間です、と言う。ウーン、寝台列車の13時間なら大喜びで乗るけど、バスではなァ。
考えていたら、フロントが、「飛行機はどうですか?」と言い、「フライトは明日、午後9時発です」と。航空券の手配を頼んだら、すぐ取れた。これでバンコクへ戻るめどがついた。さて、明日の夜まで何をして過ごそう?
何もしないことにした。それでいま、これを書いている。
そろそろ、「ラオスの旅のまとめ」を書いておかなくてはなるまい。
ラオス その一。
ラオスは「発展途上国」というより、「発展途上の緒についたばかりの国」といった方がぴったりする。
パテト・ラオが政権を取ったのが1975年。共産政権だから、直ちにタイが国境を封鎖した。パテト・ラオ政権の政策だったのか、それともやむなくか、以後、鎖国同然の状態がラオスに続いた。ベトナムに倣って開放経済政策に転じたのは、今からわずか数年前のこと、それからはこの国にベトナムやタイの商品が流れこむようになり、外国人の旅行者の姿も見るようになった。
しかし、この国にはなにほどの資源もない。せいぜい木材や電力を売るくらいが関の山だ。だから年々赤字財政が続く。貧しい。
ラオスはこんな内陸の国だから、外国資本の誘致は困難だろう。国内購買力が無いから、従ってたいした産業も育たないだろう。観光資源もそうなくて、わずかにルアンプラバーンと北部山岳地帯山奥の少数民族集落くらいのもの。それらを珍しがる外国人のバックパッカーが多少増えたところで、彼らが落とす外貨など何程のこともあるまい。
グローバル化の波のなかで、一体、この国はどうなっていくのだろう。ベトナムやタイ資本などに従属していくこの国の未来が見える気がする。
今度の旅をしていて、そんなことを僕は考えて、人ごとながらいささか暗澹(あんたん)たる気分になった。
ここもかつては、たとえ貧しくても平和でのどかな国、そんな時代があったのだろうが、いっそそのままで居た方が良かったのではないか。だが、そのままで居られないのが、現今の世界経済のグローバル化の嵐だ。いや応なくラオスの人々もその嵐のなかへ巻きこまれていくのだろう。ラオスがあがいているのが見える。
僕の勝手な願いかもしれないが、ラオスは今のままでストップして欲しい。今のままでそっとしておいてやりたい。ラオスはそんな国だ。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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