PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-タイからラオス編(40)
2009年10月11日 07:00 JST
吊り橋と太い樹と澄んだ流れ、ラオスにて。(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年10月11日】トクトクのオッさんが僕の傍にぴったり座り込んで、僕が筆を走らせるたびに、「ほう、ほう」なんて言っている。
時々、そこを小型トラックが通る。僕は道の真ん中に座り込んで描いていたから、その度に道の端へ引っ越しだ。オッさんが一生懸命に引っ越しのお手伝いをした。絵の具や水さしやマットまで抱えてちょこちょこ小走りにふっとんでくる。車が通り過ぎるとまた道具を運んで、そばにへばりついて「ほう、ほう」だ。とうとう描き終るまで、このオッさん、僕の助手をつとめた。男だが、このオッさんも「和風ハンカチ」だ。
ホテルへ帰って髪の毛や体を洗ったら、バスタブの湯が眞茶色になり、底に泥がたまった。
今日の洞窟見物は、なにがなんだかさっぱり分らぬままに終わった。多分、「碧の洞窟はまったく別のところだ。「タムエン」がそうだと僕が勝手に思いこんだだけだ。まあ、そういうこともあらァな。
昨日のレストランで、また、夕陽の落ちるのを見た。同じように感動した。夕映えというのは、太陽と地球が演じる舞台劇みたいなもんだ。刻々と舞台が変転して、見ている観客を唸(うな)らせる。この日の僕も唸り通しだった。
夜は部屋の電気を全部消して、ベランダで星を見た。ここも手の届くところに星がある。メコンからくる風が少々冷たかったので、寝袋をベランダに持ち出してもぐりこんだ。
あおむいて星を眺めながら、「きらめきの星は語らい/ほの香るつち土地囁やけど・・・」なんて昔の寮歌を口ずさんでいたら、トロトロとまどろんだ。
まどろみながら僕は、上高地でゴロゴロ過ごした学生の頃のひと夏を思い出した。
その頃の僕は、テントがあるのにわざわざ寝袋を梓川の河原へ持って行き、夜空を見ながら露天でよく寝たものだ。山友達の一人がいつも一緒だった。
一緒に枕を並べて星を見たその友人はもうこの世には居ない。木曽妻籠の本陣の御曹司だったが、その夏のあと、木曽駒ケ岳へひとりで登っていって、冷たい秋雨に打たれて凍えて死んじまった。
明るくて気のいい奴で、上高地では二人でよくバカもした。リンゴを食いてぇなァ。リンゴの皮を剥(む)いている娘さんを見かけると、その前に立って「その皮を恵んで下さい」と言った。大抵の人は中身もくれる。うまくいったァと二人で笑い、
「やさしく白き手をのべてェー、りんごをわれにあたえしはァー」
と藤村の詩をがなりながら二人でテントへ戻った。
「腐ったもの、ナンデモお引き受けします」、という立て札をテントの前へ立てておいたら、糸をひいたパンや饐(す)えたにおいのする御飯やらが毎日集まった。それを味噌汁にぶちこんで、うめえ、うめえと二人で食べて、一カ月の山での食事代をただにした。
彼が上京してきた時、遊ぶお金が二人ともなかった。おめえの髪の毛を売るべえ。僕の発案で彼の長髪を髪結い屋さんに買ってもらいに行ったら、そんな汚い髪は買えませんと断られた。洗えばきれいになるのにと二人で大いに憤慨したもんだ・・・・。
この夜、はっきり目覚めたのは真夜中。
空を見たら、星の数がまたひときわ多くなっていた。【つづく】

