PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-タイからラオス編(39)
2009年10月10日 06:52 JST
吊り橋と太い樹と澄んだ流れ、ラオスにて。(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年10月10日】ラオスでは、国道は舗装されているが、ちょっと脇道に入るとどこも泥道だ。土埃(ぼこり)がもうもうと立つ。トクトクは遅いから次々と小型トラックに追い抜かれる。抜かれたあとは土埃で何も見えなくなる。後塵(こうじん)を拝した僕は全身もう真っ黄色だ。髭(ひげ)が赤ヒゲになる。揺れもひどい。ガッタンガッタンと床の上で体がとびはねる。
窟見物はいつもついてねえや。やめときゃよかったなァ。少し後悔する。
でもその後悔は程なく吹きとんだ。前方に岩山が現れ、やがてぐるりが山となった。この山々が高さこそ低いがバンビェンのミニ版だ。僕は単純だからそれだけで嬉(うれ)しくなって、土埃にまみれた真っ黄色な顔をほころばせて、いいなァと呟(つぶや)いた。
洞窟だよ、とオッさんが言った。見回したが、農家らしいのが一軒ぽつんとあるだけ。えっ、これがコンロー村? 小舟は? そんなものどこにもない。
「ここ、コンロー村なの?」、「そうだよ」。「どこに船があるの?」、「?」。
「ほんとにここタムエン洞窟?」、「そうだよ」。
「小舟は?」、「? 洞窟ならあそこだよ」
オッさんが指さす方向を見たら、なるほど、向こうの山の下に洞窟の入り口らしいものがある。
「ああ、そうかァ。舟はあの洞窟の中で待ってるんだよネ。了解、了解」
僕はオッさんにそう言い残して洞窟へ入っていった。だが、小舟はおろか、洞窟には川もない。奥の方をのぞいたら、岩の切れ落ちた下の方にうす汚れた小さな水たまりがあった。なんだこりゃァ。とんだ「碧の洞窟」だ。それにこの洞窟だってバンビェンの方がずっと大きくて見栄えがする。あの冷たくて心地よい風もここには吹いていない。
ガックリきて外へ出た。そばに土地の人が居たのでしつこくまた聞いてみた。
「ここはほんとのタムエン洞窟ですか?」、「そうだよ」。「だってここ、舟がないよ」、「?」「コンロー村はここ?」「さあー?」「じゃあ、この近くにもう一つ洞窟ない?」、「三時間くらい向こうにあるよ」。「そこがタムエン?」、「そうだよ」。「だってここがタムエンでしょ?」、「そう、タムエン」。
てんで話が通じない。まるで僕は狐(きつね)に鼻をつままれたような気分だ。
まあいいや、山も見途中にあった小川の流れがきれいだった。壊れかけた吊り橋があって、川の流れの中に太い樹が一本、どっしりと根をおろしていた。トクトクをそこで停めて、吊り橋と太い樹と澄んだ流れの画を描いたたし、ちっぽけだが洞窟はあったし。
帰ることにした。でもせっかく来たのだから、絵を一枚描くことにした。
途中にあった小川の流れがきれいだった。壊れかけた吊り橋があって、川の流れの中に太い樹が一本、どっしりと根をおろしていた。トクトクをそこで停めて、吊り橋と太い樹と澄んだ流れの画を描いた。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、
href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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