SakuraFinancialNews

PJ: 石川 信義

昔とんぼの旅日記-タイからラオス編(37)
2009年10月08日 09:55 JST


メコンのほとりにあった茶店風レストラン。ラオス・タケークにて。(画:石川信義) 

【PJニュース 2009年10月8日】指でたどると、ここタケークから200キロほど南下したところに、大都市のサワンナケートがあるのを見つけた。そこからは国道が横に走っており、その道はベトナムに通じている。このあたり、山また山だ。

ああ、ここはホーチミン・ルートだったと思った。それでこのサワンナケートはやられたんだ。この町は、ホーチミンルートを潰(つぶ)すためにアメリカ空軍が徹底的な爆撃を加えた。町は全滅したとか。

それにしても、アメリカはひどいことをしたものだ。南部のこの町と言い、北東部の町と言い、北ベトナムに近い町は爆撃でみんなぶっ壊してしまった。

邪魔者は殺せだナ。まるきり無頼漢だ。

今度の旅で実感できたのだが、ラオス北部山岳地帯から南部のここタケークに至るまでの距離は相当に長いものだ。ホーチミンルートはもっともっと下まで伸びていたのだから、これは恐ろしいまでの長い距離だ。しかもそれが全部山岳地帯のジャングルを通っている。北ベトナム軍の兵士たちは、ここをよくも徒歩でたどったものだと思う。アメリカの猛烈な爆撃にさらされながら。あの深い山の中を。枯れ葉剤もものともせず。しかも肩に武器弾薬を背負ってのことだ。多分たどったのは真っ暗な夜間だったろう。

本当にこれはすごいことだった。死ぬほど大変だったろうが、彼らは耐えに耐えてやりぬいた。これが「民族の魂」というものだろうか。

その魂をホーチミンが支えた。偉大な指導者だった。ホーチミンは今でも絶大な人気がある。ベトナムを歩っていても、彼を悪く言う人は一人もいない。みんな、「ホーおじさん」だ。あの飄々(ひょうひょう)としたやせっぽちの姿が、この夜、僕の頭に浮かんでは消えた。日本なら、誰がホーチミンに当たるだろう?【了】

■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。

著書に、『心病める人たち』岩波新書(1990年)、 href="http://books.livedoor.com/item/1754987">『鎮魂のカラコルム』岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』(星和書店)など。

【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。

石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』

PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。海軍兵学校78期

PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者