PJ: 石川 信義
昔とんぼの旅日記-ウズベキスタン編(16)
2009年07月01日 06:31 JST
(画:石川信義) 
【PJニュース 2009年7月1日】さて、たくさんの老眼鏡を手にして御機嫌となった僕は、再びさっきのキャラバンサライへ戻った。その辺りをウロウロしていたらもう夕暮れだ。サライドームの地下に、「ラビハウス」というレストランがあるのを見つけた。ここは往時のサライ宿を改装した店らしい。薄暗い階段を下りていったら、店のなかはまるでアラビアンナイトの世界だ。廊下は迷路のよう、ローソクの灯(あか)りでほの暗く、なにやらいかがわしいような香りも漂っている。部屋も蜂(はち)の巣の按配(あんばい)で小部屋に別れていて、部屋に入ればと分厚い絨毯(じゅうたん)の上にあぐらだ。これでトルコ枕を肩肘(かたひじ)に羊料理をつまむというのだから、これはまさに異境、「開ケェ胡麻!」なのだ。
気に入ったのでこの部屋で僕は大分長い時間を過ごした。ティー紅茶を飲み飲み、持参の中央アジアの資料を初めて丹念に読んだ。なかに一ヶ所、ああそうかと納得した記事があった。中央アジアの国境策定の話だ。
ブハラ・サマルカンドの大半の住民がタジク人なのに、何故(なぜ)この両都市がタジキスタンではなくウズベキスタンに属しているのか。これが僕の疑問だったのだが、今夜それが分かった。こういうことだった。
もともと中央アジアにいまの五ヶ国があったわけではない。五つの国境線は大国ロシアが勝手に引いただけなのだ。1924年のことだ。その時ロシアは、同じ言語系の人をひとまとめにしてそれぞれの国を策定した。
この原則に従えば、ブハラとサマルカンドの住人は大半がタジク人だから、当然、ここはタジキスタンに入れられるべきだった。なのに、ここの住民がウズベク語を少々話せたので、ロシアはこの二つの都市をウズベキスタンに組み入れてしまった。
政治なんていい加減で勝手なものだ。住民の意向を無視して力の強い国が恣意(しい)的に国境線を作ってしまう。アフリカがそのいい例だろう。西欧列強が、自分たちだけの都合で勝手に国境の線引きをしてしまった。それが原因(もと)でその後のアフリカにどれほど多くの悲劇が生まれたか。部族の対立。抗争。内戦。戦争。多くの人たちが苦しみを味あわされた。イスラエル・パレスチナも同じだろう。アフリカ諸国の、まるで定規で引いたようなあの不自然な国境線を地図で見ると、いつも腹が立ってならない。
ここのタジク人も同じ。ロシアのせいで辛(つら)い思いをさせられた。かつて王朝の都人(みやこびと)だった誇り高い人たちが、ウズベキスタンに組み入れられたばかりに、少数民族としてウズベキスタン人から侮られることになった。彼らはこれまで散々その悲哀を味わってきた。さいわいなことに、ソ連のペレストロイカ以降、ここのタジク人もやっと多少の自由を得た。最近、彼らも、タジク文化復興運動を活発にやりはじめているとか。食事時の、僕のお勉強はここまで。
食事のあと、旧市街の真っ暗な通りを一人でぶらぶら歩きながらホテルへ戻ってきた。仰向(あおむ)くと夜空に星がいっぱいで、日本で見慣れた北斗七星やオリオンやシリュウスがさらなる光を増して光り輝いていた。
日本ではあまり考えないが、こういう所に来て夜空一杯に輝やく星を眺めていると、いつも「無限の宇宙」とか「悠久の時間」などということを頭に浮かべてしまう。?気が遠くなるほどの?などという言い方では到底言いつくせないほどの?遠さ、広さ?そして?時間?だ。
「宇宙の物質の密度は、縦・横・高さ30キロのビルに一粒の砂があるに等しい」などという言葉を思い出し、そうかな? と夜空を見上げると、僕の頭は限りなく拡散し、遥(はる)か彼方(かなた)へ飛んでいってしまう。
「あのシリュウス、8.6光年も昔のものを、いま僕は見ているんだ」などと考えていると、この地上のなにもかもが、あほらしくもなってくる。浮世のことは小せえ、小せえ、気持ちがだんだん大きくなり、よろず万事寛大な気分になる。
ホテルへ入ったら、広いロビーで下手くそなピアノとヴァイオリンが、アメリカン・ポピュラーをガアガア演奏していた。ウヘッと思ったが、他に客もなし、素通りもかわいそうだからムーン・リバーの一曲を聞いて盛大な拍手をし、部屋へ戻ってきた。
いま、午後の十時。
夜は夜で結構忙しい。まず一番にこの旅記録を書く。これは勝手気ままに書くから、この時間は結構楽しい。そのあと、本を読んだり、音楽を聴いたりして眠る。
「茂吉」は二巻目まで読んだ。三巻目に入るかどうかいま思案中だ。茂吉はたしかに優れた歌人だとは思うが、勝手なことを言わせてもらえば、友人としてならあまりつき合いたくない類(たぐい)の人に思える。面白い人とは思っても、どうも好きになれそうにない。同じ茂吉を読むなら彼の短歌だけの本を持ってくればよかった。旅の本には、やはり、「唐詩選」みたいなものをぽつりぽつりと味わっている方が向いている。【つづく】
■関連情報
石川信義(いしかわ・のぶよし):1930年、群馬県桐生市生まれ。海軍兵学校78期、旧制二高を経て、東京大学経済学部・医学部卒。学生時代は東京大学スキー山岳部所属。61年、第5次南極観測隊に参加。65年、東京大学カラコルム遠征隊の副隊長・登攀隊長。東京大学附属病院神経科、都立松沢病院勤務を経て、68年、群馬県太田市に三枚橋病院を創設し、日本初の完全開放の精神病院を実現した。以来、精神病院の自由・開放化、精神障害者の地域化(ノーマライゼーション)運動に尽力する。
著書に、心病める人たち 開かれた精神医療へ岩波書店(1990年)、鎮魂のカラコルム岩波書店(2006年)、『開かれている病棟』『精神病院を語る』(共著)『開かれている病棟おりおりの記』(以上、星和書店)などがある。書評は(中日新聞)鎮魂のカラコルムなど。
【むかしとんぼ】ムカシトンボ(昔蜻蛉)、学名Epiophlebia superstes。トンボ目・ムカシトンボ科のトンボ。体長約5センチ。春季、渓流で見られる。日本固有種。原始的なトンボの形をつたえ、生きている化石といわれる。日本以外では近縁種のヒマラヤムカシトンボ(Epiophlebia laidlawi)がヒマラヤ山脈周辺に分布するのみ。
石川信義ブログ『昔とんぼの旅日記』
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