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PJ: 藤倉 善郎

裁判員による公開リンチが始まった
2009年08月08日 06:04 JST


最高裁の裁判員制度を説明するHP 

【PJニュース 2009年8月8日】日本初の裁判員制による判決が、6日に出された。東京都足立区の隣人殺人事件をめぐって、被告人に懲役15年の刑が言い渡され、判決後に裁判員たちが記者会見を行った。この会見での発言を見ると、今回の裁判員の多くが、裁判で人を裁くに値しない見識の持ち主だったように感じられる。

会見での裁判員たちの発言は、産経ニュースが【裁判員 語る(1)】、同(2)、同(3)、同(4)として、詳しく報じている。このうち(3)に掲載されている裁判員たちの発言に、司法の崩壊と呼んでもいいほどの危惧(きぐ)を感じた。「これから裁判員になる人にメッセージがあったらお願いします」という記者の取材への回答だ。私が問題と感じた部分を引用する。

「裁判員は、経験しないと分からないことです。社会を勉強できる機会になるので、人によってさまざまな考えがあるとは思いますが、裁判員に選ばれた方は成し遂げていただければと思います」(裁判員1番=会社員女性)

「裁判員は『すごく大変でストレスもたまりそう』と考えられ、心配されている人もいらっしゃるようですが、やらせていただいて『見えないことが見えたいい経験ができた』という感想を持ちました」(裁判員2番=ピアノ教師の女性)

「まさか自分が選ばれるとは思っていませんでした。やりたくてもできないことだと思う。すごく貴重な経験したと思います。(裁判員候補者に選ばれたときは)私も『えっ』という気持ちが正直な気持ちだったけれど、今はよかったと思っている」(裁判員4番=栄養士女性)

「当たったときは、のけぞりました。仕事もあり『まさかでしょ』という感じで。けれど、裁判員の仕事をさせてもらい、裁判所や検察の方たちと貴重な経験をさせてもらいました。また次に選ばれる方も頑張ってほしいと思う。会社では仲間がフォローしてくれたので非常に感謝しています」(裁判員6番=会社員男性)

繰り返すが、これは単なる感想ではない。「これから裁判員になる人にメッセージ」である。6人の裁判員のうち4人が「これから裁判員になる人」に対して、「社会を勉強できる機会」「いい経験」「貴重な経験」「やりたくてもできないこと」といった言葉で「頑張ってほしい」等々と語っているのである。

とんでもない勘違いだ。裁判は、裁く側の社会勉強のための制度ではない。犯罪の被害者や社会への影響にも配慮し、なおかつ被告人への不当な人権侵害を回避することにも神経を配った上で、被告人の人生や時には命さえも左右する決断を法律にのっとって行うのが裁判である。裁判員にとって、「貴重な経験」等々の感想が副産物として生じることはかまわないと思うが、それ自体を動機として裁判にかかわろうと言うのであれば、やめてほしい。社会勉強をしたいのであれば、裁判傍聴で十分だ。「経験」として裁判をやってみたいなら、模擬裁判で心ゆくまで楽しめばよい。

同じく「これから裁判員になる人にメッセージ」として、こう発言した裁判員がいた。

「最初はなんで自分が当たったのかと思ったけれど、考え方が変わりました。個人個人で集合している社会なので、個人が声をあげていかないと社会は変わらない。制度には色々な見方がある。少しでも社会を住みやすくするために自分が何をできるかと考えれば、制度は発展していくと思います」(裁判員7番=アルバイト男性)

ほかの裁判員と違って社会的役割を意識した発言だが、「これから裁判員になる人にメッセージ」として、こうしたスタンスで発言したのは、裁判員7番の男性だけ。ほかの5人が語ったのは「自分」のことばっかりだ。裁判員第1号として、この制度を前向きに捉(とら)えたいという優等生発言にすぎないのかもしれない。しかしだとしたら、優等生発言のつもりで語った言葉によって、「裁判」の社会的役割を全く理解していないことを露呈したという、より致命的な会見である。

6日夜のテレビ朝日『報道ステーション』では、元検察庁の若狭勝弁護士が、こうした趣旨の発言をしていた。

「量刑相場で言えば懲役12〜13年なので、それと比べて15年という判決は重い(求刑は16年)。これは市民感覚が反映された結果だと思います。今回の裁判では被告人の殺意の度合いが焦点でした。例えば被告人側の主張では、ナイフを持って被告人が被害者に駆け寄って行ったとき、被害者が『やるならやってみろ』と言ったというんですが、判決では『そのような状況であれば、ふつうは逃げる。やってみろなんて言うわけがない』と判断していました」

判決文を精査した上での発言かどうかは定かではない。しかし、それはそれとして、証拠・証言・心証などを元に「そう言ったとは考えにくい状況だ」と判断するのではなく、「ふつうは言うわけがない」などという勝手な一般法則を作って事実認定してしまうのが、彼の言う「市民感覚」の裁判なのだ。

被告人が裁判員の「貴重な経験」という自己満足のために、理不尽な「市民感覚」とやらで裁かれる。もはや裁判とは呼べないシロモノである。

今回の公判のスタートにせんだって市民団体「裁判員制度はいらない!大運動」が記者会見を開き、ジャーナリストの斎藤貴男氏が、「司法という名のリンチになるのではないか」と懸念を表明したと報じられている。斎藤氏の懸念は、現実のものとなったと言えるのではないだろうか。【了】

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