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PJ: 藤倉 善郎

初代編集長・鳥越俊太郎の罪=誰がオーマイニュースを殺したか(中)
2009年04月28日 06:30 JST


鳥越氏の顔を見て「報道」を連想する人は報道を勘違いしている(06年8月、東京・虎ノ門、撮影:吉川忠行) 

(上)からのつづき。市民メディア「オーマイニュース(以下、OMN)」が、24日に完全消滅した。OMNが報道という理念と矛盾するハンディを背負った原因である初代編集長・鳥越俊太郎氏について考えてみたい。

 そもそも鳥越氏を編集長に据えたこと自体が、「報道」というコンセプトと矛盾していた。彼はサンデー毎日の元編集長という経歴を持っているが、それも1980年代までのこと。その後はテレビのニュース番組司会者に転身し、「取材し報じる」というよりも実質的にはコメンテーターあるいはタレントに近い評論家として一般の知名度を得てきた。

 ジャーナリストの仕事は、自ら取材し報じることだ。テレビのニュースで取材して報じているのは、鳥越氏ではなく現場の記者やカメラマンたちだ。しかもテレビや新聞は、記者クラブ制度等の利権構造にまみれた、悪い意味での“権力・権威”である。サンデー毎日編集長を辞任した後の鳥越氏は、もはやジャーナリストではない。鳥越氏の顔を見て「報道」を連想する人がいるとしたら、その人は報道を勘違いしている。

 一方、OMNは市民による「ジャーナリズム」を標榜(ひょうぼう)したメディアだ。OMNのキャッチフレーズは「市民みんなが記者だ」であって、「市民みんながテレビコメンテーターだ」ではない。しかしOMNに参加した理由を「鳥越さんが編集長だと聞いて興味を持ったから」と語る市民記者もいた。こうして「報道」を誤解させるような人物をOMNの看板にして、韓国OMNのオ・ヨンホ代表は何をしたかったのだろうか。鳥越氏を編集長に据えた時点で「市民による報道」というOMNの理念は破綻していた。

 07年春、私が初めてOMN編集部を訪れたとき、鳥越氏の姿はなかった。病気を理由に編集長を辞任する直前のことだ。編集部員によると「もともと彼は数えるほどしか編集部に来たことがないし、特段仕事もしていない」とのことだった。病気以前から「編集長」の肩書は単なる名義貸しだった。

 しかし彼は、OMNでの唯一の仕事である「看板」の役割を果たさないどころか、逆に足を引っ張った。創刊前からITmediaの取材に対して2ちゃんねるを「ゴミため」呼ばわりし、「開店準備中Blog」の炎上を招いた。これについて鳥越氏は「『2ちゃんねるの一部が』と言ったつもり」と、事実と異なる釈明を披露して、ITmediaの記者に責任をなすりつけた。ジャーナリストと呼ぶには情けなさすぎる対応だ。07年に病気を理由にして辞任した後には、テレビなどには出演している。テレビに出られるなら、OMNに名義を貸すだけの仕事に何ら支障はない。初代編集長は、最初から最後までジャーナリストどころか単なるウソツキだった。

 もちろん、鳥越氏とは関係ない場面で編集部が批判される場面もあった。しかし鳥越氏が創刊前からOMNにハンディを与えるようなことがなければ、OMNは、批判はされつつも、もう少し長い目で見守ろうとしてくれる人々からの支えを得られたのではないかと思う。また、編集部もウォッチャーなどの批判におっかなびっくりになりながら市民記者を過保護に扱ったり、問題を騙し騙し切り抜けようとしてかえって批判を浴びるなどという状態にもならなかったのではないか。

 こう考えると、OMNによる“実験”では、市民メディアの可能性は全く測定できなかったように思う。「取材して記事を書く」ことができていた市民記者の記事には、むしろ市民メディアの可能性が感じられた。しかし報道としての覚悟が薄いメディアだったがゆえに、その可能性を存分に発揮できなかった。OMNが実証したのは、市民メディアの限界ではなく、「報道という理念と矛盾する報道メディアは、評価もされず長続きもしない」という、極めて当たり前の命題だけだ。まさに、いまの新聞・テレビが世の批判と不信を買っている構図と同じである。

 これまで2回にわたって、編集部や市民記者、鳥越氏などを批判してきたが、次回、私自身が反省する。ごめんなさい。【つづく】

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