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PJ: 映像編集 by PodTV

【動画】スーパーカブでまわる山古志村、中越地震から4年目(4) 鬼が引っかいた山肌に雑草萌える
2008年11月04日 04:00 JST


山古志・竹沢地区のニシキゴイの棚池で作業する人と、そこにとまる軽トラック。奥には震災で崩れ補修された山肌も見える。黄色い柿がたわわに実っていた。 (撮影:小田光康、10月23日) 

(3)からのつづき。PJ小田が目の当たりにした震災から4年目の山古志村を一言で表現すれば、静かな日本のふるさと。今夏ごろまでは村の中を大型ダンプなどの工事車両がひっきりなしに行きかい、道路や地盤の工事があちらこちらでされていた。その活気ある様子を見て、村が復興しつつあるということを実感したものだ。また、倒壊した民家の跡地に新しい民家が再建されたシーンにも多く出会った。去年の春に訪れたときには、村のあちらこちらからつち音が聞こえていたが、いまはそれもない。住宅建築も一段落したという。動画はPJ PodTV

 この4年間の山古志村取材で、最も印象的な出来事を自問した。それは山の表情。山が生きていることをリアルな感覚として受け止めることができたことだ。もっとも、山の表情は春夏秋冬、さまざま。山古志村で言えば、春雪の中から芽吹く新緑のブナが、秋になり黄色く色付く秋の季節まで、たおやかな山の移り変わりを演出してくれる。この変遷を感じることでも、山が生きていることをなんとはなしに感じ取っていた。

 だが、震災直後に「鬼に引っかかれて」赤い地肌がむき出しになった山が変わっていく姿から受けたインパクトはまったく異質なものだった。はるかに強烈で、いやというほどダイレクトだったのだ。地肌がむき出しだった山の斜面が、今では緑の衣に覆われている。崩れた山の斜面に下草が生えてきた。震災直後は村のあちらこちらに荒々しい山の地すべり斜面があり、その景観が被災地の現実を如実に表していた。4年たったいま、山も自然と癒されつつあることを実感した。

 こんな風景を見ながら、以前の村役場である長岡市山古志支所から種芋原地区に住む知人宅に向かった。ガタガタだった道路が平らで広くなっていた。車がすれ違うこともままならなぬ暗くて狭い1本のトンネルが、明るく大きな2本のトンネルになっていた。いまでは大型観光バスが山古志村を訪れるのもうなずける。山の斜面にかぶせられた滑り止め工事の跡は、絆創膏(ばんそうこう)のようだ。山のあちらこちらに大きな絆創膏が貼られている。この風景さえなければ、初めて山古志村を訪れた人は、ここが4年前大震災に遭ったことに気付かないのかもしれない。

 山崩れで川がせき止められ、道路が崩落した場所には新しい橋がかかっていた。橋の下には新たに掘られたコイの棚池があった。山を切り崩して新たに通した道路の両脇には雑草が生い茂っていた。この雑草の斜面にも数年も立てば潅木が生え、その後、広く根を張った大きな木が生えるのだろう。この橋を過ぎるといよいよ種芋原地区に入る。

 これまで、クルマか大型バイクで山古志村を取材していた。今回は50ccの原付バイク。世界の庶民の足、ホンダ・スーパーカブでだ。閉ざされた車内から見る風景や、スピードを出して通り過ぎていく風景とは違った風景だった。スーパーカブがうなりを上げて、緩やかなカーブを上っていった。時速にして20キロほどだろう。豪雪をしのぐドーム型の倉庫横に置かれたオレンジ色の耕運機や、新しい民家の玄関先に止められた緑色の子供用の自転車。道端に植えられた赤やピンク、白色のコスモス。スローモーションの中から映し出されるビビッドな山古志の風景とでもいおうか。山古志に戻ってきた人々の生活が見えてきた。スーパーカブでだからこそ、見えてきたのだろう。

 山の診療所を過ぎ、少し坂を下ると草間さんの家が見えてきた。山古志には中2階に玄関がある民家が多い。豪雪だからだ。バイクを止め階段を上がってベルを押すと、懐かしい声が聞こえてきた。「下にまわってくだされ」。草間さんのお母さんだ。草間さんの家は1階が雑貨品店になっている。店先には山古志村特産の唐辛子「かぐら南蛮」が植わり、赤や緑の実をつけていた。震災で「ひっちゃかめっちゃか」になってしまった店舗内が、いまではきれいに整理整頓されていた。今年からまたここで商売をはじめたそうだ。

 「よく来てくれなすったのぉ、さあさあ中に入ってくれなされ」。店舗脇にある茶の間に通してくれた。茶の間に入るなり、草間さんのお母さんが右腕を抱えていることに気づいた。PJ小田が「お母さん、腕まだ治らないのですか」と聞くと、「いやいや、また転んでしまったのですよ。お医者さんに見てもらうとまた骨折してるという。午前中、病院に行ってきたところです」と答えた。70代後半になる草間さんのお母さんはこの4年間で2回も骨折してしまった。1回目は震災で道路に段差ができ、それにつまずいてしまった。それでも、明るく元気だ。山古志に帰ってきたのが何よりもうれしいらしい。

 店で商談していた草間さんが茶の間に入ってきた。「小田さん、あそこにおいてあるカブで東京から来たのかね。いや、たまげた。なんでそんなこと」「いや、山古志をカブでゆっくりと走り回れば、戻ってきた人々の生活が少しは見えてくると思って」「ハハハ、面白いことを考えなさる」。茶菓子を食べながら談笑した。

 「ところでお母さん、もうすぐ雪が降ってきますね。何か山古志の特別な冬支度ってあるのですか」と聞いた。ここ山古志は6メートルもの積雪がある冬もある。「昔は玄関に雪囲いをしたけれど、そんな家も少なくなりました。いまは家がよくなったから、特別というのはありません」。確かに新築された山古志の民家は積雪期に出入りするため、玄関が高くなっているが、それ以外は東京の家と変わらぬ形をしている。

 「山古志の家の庭は山を下った長岡とは違います。大きく手を広げたように枝をはわせた庭木は無いし、石灯籠(どうろう)などもない。雪でだめになってしまうからです」とお母さんが教えてくれた。あと1カ月もすると、シベリア高気圧から運ばれてきた寒気が、日本海を渡るときたくさんの水分をたたえて、なだらかな山々が続く山古志にたくさんの雪を降らせるのだろう。その雪が山肌に残る震災の傷跡さえも覆いつくしてしまう。

 「お母さん、この4年間で変わったこと何かありますか」「そうだね、村がひっそりとしてしまったよ。つい最近までダンプの音や工事の音がしてたけれど、今はそれはありません。道を歩いていても、人に会うことが少なくなってしまいました。夜になると、それは静かだよ」。【つづく】

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PJ 記者