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【動画】スーパーカブでまわる山古志村、中越地震から4年目(5) リーマン・ショックが「鯉のいる村」にも直撃
2008年11月07日 12:54 JST


ニシキゴイをお孫さんと見つめる星野のお母さん。(撮影:小田光康、10月23日) 

(4)からのつづき。草間さんの自宅を後にし、2年前の大雪の夜に一晩お世話になった小川さん宅に向かった。小川さんの自宅も種芋原地区にあり、おじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らし。震災から約1年で山古志に戻り、自慢のコシヒカリを生産している。坂の途中にある小川さんの家はひっそりとしていた。「こんにちは、PJニュースの小田です。ごぶさたしてます」と玄関口から声をかけると、おじいちゃんが出てきた。山古志村の映像は動画PJ PodTVで。

 「おや、めずらしいねぇ。今日はどうなすった」「震災から今日で4年目なので、取材にまた来ました」「それはご苦労さま。へぇ、もう4年なるのかねぇ」。おじいちゃんは震災のことを忘れていたようだ。「おじいちゃん、田んぼはどうですか」「おお、今年はまぁまぁだったよ。おばあさんが病気をしてね。寝込んでいるんだ。稲刈りが終わってからも忙しくしてるよ」。80歳を過ぎた小川のおじいちゃんも健在だった。

 震災から約1年たった冬の12月、山古志は大雪に見舞われた。その大雪取材の際、PJ佐藤が夜は車中で一泊する予定だと役場の人に告げると、わざわざ小川さんの家に泊まりなさいと便宜を図ってくれたのだった。おばあちゃんの手作り料理とおじいちゃんのお米、そして焼酎でその晩は宴会を開いてくれた。テレビを付けると山古志のニュースが映し出された。「新潟中越地震の被災地、旧山古志村は大雪でたいへんです」と東京から来たテレビのレポーターが叫んでいた。

 すると、おじいちゃんが「今年は雪が降るのがちょっと早いだけだ。このくらいの雪などたいしたことねぇ。うちの大黒柱はしっかりしてるから大丈夫。ここで現におまえらさんと一緒に酒盛りしてるでないか、わっはっはっ」と大笑いした。山古志では1月から2月にかけてが雪本番となる。おじいちゃんの家の大黒柱は驚くほど太かった。これで約50年もの間、毎年の4−5メートルの積雪に耐えてきたのだった。

 とはいえ、大雪が降った後の翌朝はたいへんだ。「雪掘り」と呼ばれる屋根の雪下ろしをしなければならない。当時は小川さんの自宅の雪掘りを手伝った後、草間さんとPJ佐藤と一緒に村から避難した留守宅の雪掘りをした。PJ小田とPJ佐藤が屋根に登って雪掘りをしていると、眼下で新聞社のカメラマンがその様子を撮影していた。われわれを地元の住民と間違えたらしい。

 こんなことを小川のおじいちゃんと話した。「そんなこともあったねぇ、わっはっはっ。きょうはどうなさる」「これから役場に行って追悼式を取材します。きょうは時間があまりないのでこれで失礼します。おばあちゃんによろしく伝えてください。お元気で」といって、次の取材先、竹沢地区にある星野さん宅に向かった。途中、池谷地区にある壊滅的な被害に遭った大規模牛舎と、山崩れの堰(せき)止め湖がある木篭地区に立ち寄った。

 新潟中越地震直後の04年11月、県内で乳牛・肉牛合わせて151頭が死亡した。この近くには「牛ノ墓」が建立されている。また、崩壊した家畜糞尿処理施設は更地になっていた。4年たったいま、牛舎は新築され、たくさんの黒毛和牛が山古志に戻ってきた。地元の青年らは「山古志牛」のブランド化プロジェクトを進めているところだ。この牛の肉で作った牛丼を、役所前の出店でこの日の昼飯に食べた。うまかった。

 木篭地区に着くと、以前あった倒壊しかけた家屋はすべて撤去されていた。この地区を流れる芋川がせき止められ、約10件の民家が水没した。下流部の東竹沢地区では排水工事が終わり、山崩れでできた堰止め湖には新しい橋がかかっていた。この辺りはいまだ、震災の激烈さを色濃く残している。その様子はマスメディアが災害から4年目の特集でさかんに流していた。ただ、この記事を書いているいま、あらためて過去の写真を見直すと、復興が進み、時がたったのをひしひしと感じた。

 ここから竹沢地区にある星野さん宅はもうすぐだ。カブを走らせて10分ほどでついた。呼び鈴を鳴らし、「ごめんくださーい、PJニュースの小田です」と大きな声で星野のお母さんを呼んだ。「はーい、ちょっと待ってー」という声が聞こえてきた。少しするとお母さんが赤ちゃんを抱いて出てきた。開口一番「あらまー、どうしたのかしら。バイクの音がして、2階から見るとカブが止まっていたので新聞の集金かと思った。お母さんはお元気ですか」と訪ねてきた。この家にも2年前、一晩お世話になった。

 実は昨秋、星野さん宅にPJ小田は母親と一緒に訪ねた。70歳近い母親に山古志の日本の原風景のような美しさを見せてあげたかったからだ。それから約1年ぶりの再訪となった。1年半前に星野のお母さんはおばあちゃんになった。役場で働く息子さんが震災を機に結婚したという。息子さんとお嫁さんが忙しいとき、お母さんが孫の面倒をみている。お母さんとよもやま話をしていると、お父さんがコイの池から戻ってきた。

 「『中野区』って書いてあるナンバープレートのカブがうちの前に止めてあるから、なんだろうと思ったよ。まさか、東京から来たの?」とお父さん。「カブに乗って山古志を回ってみたくて。なにかが見えてくると思いました」と答えると、「何時間かかったのさ。クルマで東京まで3時間半ほどだけど」「8時間かかりました」「そりゃ、驚いた! それできょうは何で山古志まで来たのさ」「お父さん、きょうで震災から4年目ですよ」「へぇ、そうかい。忙しくて忘れてた、ハハハ」。こんな会話が続いた。

 星野のお父さんは山古志の除雪隊長だ。その様子は約3年前に同行取材し、PJ佐藤が走れ! 山古志除雪隊 土砂崩れ現場上の雪を乗り越えという記事などで伝えた。お父さんの本業は養鯉家だ。「鯉のいる村」で日本が世界に誇るニシキゴイを育てている。

 「お父さん、最近ニシキゴイはどうですか」「やっと池を作り直して、預けてあったコイをうちの池にもどしたよ。これで一安心」。小千谷市内の信濃川沿いにある賃貸の池からニシキゴイを山古志の棚池に引き上げたという。お父さんにとってこれほどうれしいことはない。「お父さん、お孫さんもできてよかったですね」「うーん。・・・ハハハ」。シャイなお父さんはこのことでも生活に張りが出たそうだ。

 ただ、心配事が無いわけではない。「今年のニシキゴイはどうですか」「コイはいいけど、外人のお客さんはさっぱりだ。こんな経済状況だからね」と声を詰まらせた。山古志のニシキゴイの顧客のその9割が欧米からだ。今年はリーマン・ショックを発端とする世界金融危機の煽りを受け、ニシキゴイの売上高が10分の一まで落ち込んでしまった。飼料代は30キロ一袋で1500円も値上がりした。これからの冬、コイ池の暖房に欠かせない重油の値上がりも重くのしかかる。

 中東情勢をはちゃめちゃにした好戦主義の米ブッシュ政権と、リーマン・ブラザーズなど米投資銀行家という名のエゴイスティックなカネの亡者によるしわ寄せが、やっとの思いで静かで落ち着いた生活を取り戻しつつある中越地震の被災者にまで及んでいるというわけだ。悪い奴らはぬくぬくと眠り続け、正直者がバカを見る。こんな理不尽はめったにない。このままでは星野さん一家の生活も心配だ。

 「お父さん、養鯉業のほうは大丈夫ですか」「ハハハ、そんなこと言ったってどうしようもならんさ。ニシキゴイは嗜好(しこう)品だから、仕方ない。オレにできることは世界中から来るお客さんに誇れる日本一のニシキゴイを育てることだよ。それしかできないし、それしかない。池も元通りになったし、自信を持ってもっといいコイを育てていくよ」。星野のお父さんの力強さに感銘した。【つづく】

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PJ 記者