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【動画】スーパーカブでまわる山古志村、中越地震から4年目(3)東京から計8時間、山古志村到着!
2008年10月31日 05:21 JST


愛車のリトルカブ「PJニュース1号」。魚沼・塩沢付近で。東京から約7時間、尻が痛くてしょうがなかった。(撮影:小田光康、10月23日) 

(2)からのつづき。新潟県中越地震から4年目にあたる10月23日は、早朝から目が覚めた。朝3時半起床。昨晩からのPJニュースの編集作業と、このレポートの執筆に追われた。朝7時までにはこれらを終わらせて、山古志村に出発したいと思っていた。PJ佐藤は6時になって起きてきた。「今日の天気どお?」と言われ、目を窓の外にやるとちらほらと雨が降っていた。「もう雨が降ってるよ。湯沢まで下りればやんでいるかも知れないね。山古志村近くの長岡近辺はきょう午後になると雨の予報だよ。早く出発したほうがいいね」と返事した。この日の模様を動画PJ PodTVで。

 こんな時に限って、仕事の量が多い。PJ佐藤には7時まで待ってもらっていたのだが間に合わず、先に出発してもらった。結局、仕事が終わったのは9時半になってしまった。窓の外を見るとザーザー降りの雨・・・。「なんだよ〜、こんな日に雨なんて。バイク乗りたくないなー」と一人でぼやきながらも、ザックの中身すべてをビニール袋に入れて防水し、雨がっぱを羽織って、ザックにカバーをかぶせて、防水の手袋をはめて身支度をした。

 こんな日には防水カメラやビデオが活躍する。PJ佐藤のハンディビデオはサンヨー・ザクティのCA8という機種。水の中でも水深1.5メートルまで撮影可能だそうだ。PJのコンパクトデジカメはオリンパス・ミュー795SWという機種。これは防水・防振で低温環境下でも強い。こんなカメラ機材が5万円以下で買えるのだから驚く。

 雨の日のバイク乗りは不快そのもの。ヘルメットのシールドに雨滴が付き視界が悪い、雨具の中に水が浸(し)みて来て気持ち悪い。タイヤは滑りやすいし、体が冷えてくる。ちっとも楽しくない。仕事でなければ、まず雨の中をバイクに乗ろうなどと思わない。

 出発は午前10時。苗場スキー場から越後湯沢までは一部を除いてずっと下り坂だ。スピードも出る。リトルカブでもちょっと目を離すと、スピードメーターを振り切る時速60キロまで達してしまう(これはスピード違反です、スミマセン)。この辺りは紅葉まっさかりのようだ。「ようだ」と表現したのは大雨で視界が悪く、よく見えないからです。長いトンネルを幾つかくぐり、右へ左へと恐る恐るコーナリングしながら坂を下ると、だんだんと雨がやんできた。「あーよかった」と思わず叫んでしまった。

 せっかくの被災4年目の追悼式のこの日23日、雨では式典に参列する被災者の方々があまりにかわいそうだ。湯沢から石打で雨が小降りになり、石打から塩沢で雨がやみ、塩沢から六日町で雲の切れ間からお天道さまが顔をのぞかせた。国道17号線の両側は稲を刈ったばかりの日本一のコシヒカリの田んぼが広がっていた。ここで生産されるコシヒカリを、ご存じ「魚沼産コシヒカリ」という。

 天気が回復したのと、ひさしぶりに山古志に行くのとで、気分が高揚してきた。新車のリトルカブの調子も良い。びしょぬれになった雨具と太陽の光で、蒸し暑くなってきた。道ばたにカブを止めて、雨具を脱いだ。午前11時ごろ、PJ佐藤に電話連絡を入れたのだが、通じない。長岡市山古志支所前では追悼式前のイベントが行われているころだ。たぶん、取材しているのだろう。後で聞くとその通りだった。JR浦佐駅を通り過ぎた。ラーメン屋と小さなホームセンター以外、駅前にはほとんど何もない。それでも新幹線が止まる駅なのだ。

 浦佐を過ぎると山古志への玄関口、小出に到着。国道17号線を直進して小千谷から右手に折れると山古志の中心地である竹沢地区に、国道17号線から国道252号線を経由して国道352号線のルートを取ると種芋原地区に出る。当初は、東京から最寄りの種芋原地区から取材しようと思ったが、イベントが竹沢地区で行われているため、国道17号線を直進した。

 越後川口に到着すると3年前の冬を思い出した。PJニュース創刊に備えて参考のためにと、ここからほど近い中越地震の震源地、田麦山の市民新聞『たむぎやま日々新聞』を取材した。大雪の中、ボランティア記者が仮設住宅に自ら作った新聞を配り、被災者の要望や悩みなどを聞いていた。これぞ「市民メディア」という印象をいまでも持っている。魚野川はこの辺りで信濃川と合流する。

 川口を過ぎるとトンネル工事があり、国道291号線に迂回(うかい)した。間もなく小千谷に着いた。岩崎京子の児童文学『鯉のいる村』で有名な町だ。PJ小田は小学生の時、この本を読んだ。ストーリーは「鯉が雪の下の池の中で泳いでいた」程度しか記憶にないがのだが、いわさきちひろが描いた淡い色の鯉の挿し絵はよく覚えている。この辺りはやたら大きな鯉の看板が目立つ。養鯉場の看板だ。

 国道291号線を突き進むと山古志に出る。途中、長岡市妙見町にある土砂災害で奇跡的に男児1人が救助された現場に立ち寄った。信濃川を正面にした献花台には時折、追悼に来る人があった。小千谷からはくねくねの上り坂になる。被災当時は細くガタガタだった道路も、いまでは広く快適な道に生まれ変わった。山古志名物の棚田や闘牛を見るために観光バスが来るようになったため、地元の人は「観光道路」と呼んでいるそうだ。

 左手に新しくて古めかしい建物が見えてきた。そこは以前、山古志小学校があった場所だ。校舎は震災の被害で取り壊しとなり、以前の山古志中学校敷地に立て直した。その跡地に山古志伝統の建築様式を取り入れた公営住宅が建ち並んでいる。ここでバイクを降りて、PJ佐藤にトランシーバーで連絡した。応答なし。PJ佐藤がいる山古志支所まで1キロもない距離なのになぜ・・・。通話可能距離は1キロから2キロと説明書には書いてあった。やはり民生用のトランシーバーではダメなのか。いや、単に取材中だったそうだ。

 バイクにまたがり、道を進むと道路脇に数台のテレビ中継車が止まっていた。長岡市山古志支所だ。到着時刻は正午ちょうど。スーパーカブの弟、リトルカブで苗場から2時間、東京から計8時間の旅程だった。再度、トランシーバーに向かって「こちら小田。応答願います、応答願います」と話すと、「こちら佐藤。いま姿が見えてます。そちらに向かいます」との返事があった。

 PJ佐藤は山古志産の牛肉の串焼きをほおばりながらやってきた。「たくさんで店が並んでるよ。うまいから食べたら」と話し始めた。見回すと山古志産の唐辛子入り焼きそばや、「鯛焼き」ならぬ「鯉焼き」など地元のうまいものやが並んでいた。「よし、腹ごしらえでもして、取材始めるか」といって、地元産牛肉で作った牛丼400円と「ふっかつ」というカツ150円を一気に食べた。【つづく】

■関連情報
『スーパーカブでまわる山古志村、中越地震から4年目』
(1)
(2)

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