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【動画】「京橋駅空襲被災者慰霊祭」 語り継ぐべきもの=大阪
2008年08月17日 07:21 JST


慰霊祭で読響する竹内住職 大阪市JR京橋駅にて。(撮影:鈴木義哉) 

8月14日、大阪府内のJR西日本京橋駅において「第54回 京橋駅空襲被災者慰霊祭」が執り行われた。これは昭和20年8月14日午前11時ごろ、アメリカ軍のB29が大阪城にある大阪砲兵工廠を目標に爆弾を投下していた。うち数発が目標を外れ、国鉄京橋駅(当時)へ落下した。当時の鉄道は近くで空襲があった時は、乗客を降ろして列車を待避させるようだったという。

 京橋駅には城東線(現在の大阪環状線)の上下線の乗客約1000人が下車し逃げようとしていたところに1トン爆弾が落下。駅舎は破壊され線路は飴のように曲がり周辺は地獄と化した。多くの人が生き埋めになりながら指揮系統が混乱した中ではどうすることもできず、けが人の多くは生き埋めになったまま息絶えたと言われている。

 身元が判明した死者は225人ということだが、遺体の損傷が激しい犠牲者があまりにも多かったため、犠牲者は500人とも600人とも言われている。遺品すら発見できなかった遺族も少なくない。

「若い人に理解してもらえない」と危惧を訴える
 この日は被災者の遺族や生存者など約250人が参列した。その中、羽曳野市の里井伸作さんは「当時私は旧制中学で砲兵工廠に勤労奉仕に行っていた。この空襲で同級生が4人巻き込まれ怪我をした」と当時を思い出し語った。

 この空襲の生存者でもある慰霊祭の主催団体「京橋駅世話人会」の会長・京極利明氏(前大阪府議)が挨拶として、大阪の空襲に複数回合い、辛くも生き延びた体験を語り「若い人と戦争の話をしても”本当にそんなことがあったのか”と理解してもらえない。そんな時代になっていることも事実です」と語り継ぐことの難しさ、体験の風化を危惧を訴えた。そして毎年、折鶴をっさげている地元の聖賢小学校の児童のメッセージと続き、妙見閣寺の竹内日祥住職による読経が行われた。慰霊祭の模様を動画PJ PodTVで。

 わずか1日の差、というより14日の23時に日本はポツダム宣言受諾をスイス等を経由して連合国に伝えたとされているため12時間の差で600人もの犠牲者が命を落としたのだ。このことは語り継いでいかなくてはならない。【了】

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PJ 記者