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PJ: 池野 徹

反骨の「美醜」を知っていた、野村克也監督。
2009年10月26日 12:24 JST


"Forever Young,Sachiyo & Katsuya" (制作/撮影:池野 徹) 

【PJニュース 2009年10月26日】2009年10月24日、プロ野球パシフィックリーグ王者決定戦に敗れた楽天の野村監督は、前代未聞の楽天、日本ハムの選手にマウンドで胴上げされ、複雑に歪(ゆが)んだ顔をして、しかしファンに感謝して球場から消えた。囲み記者会見にあらわれ、「就職よろしくお願いします」と最後のぼやきをつぶやいた。

1954年、南海ホークスにテスト生として入団。以来、55年間、野球一筋で歩いて来た野村克也は、選手として南海、ロッテ、西武と26年、生涯一捕手として、三冠王も穫(と)りその実力は見せつけて来た選手である。選手から、コーチ兼任となり南海、ヤクルト、阪神、楽天と監督を務め、再生工場の野村とまでいわれて来た。その実績は、選手として監督として日本プロ野球界で燦然(さんぜん)として、一流のプロの仕事を残している。

野村克也は巨人ファンであったそうだ。巨人を目指したが、己のポジションがダブっていたため巨人入りには至らなかった。また同時代を過ごした、巨人の長嶋茂雄、王貞治の大スターを見ながら、彼らを陽のもとの「ひまわり」に例え、己を影に咲く「月見草」とつぶやき、ぼやいていたのは、有名な話である。

その心中は、あこがれと羨(うらや)みとコンプレックスに充満していた事だろう。しかし、そうぼやきつつ野村自身のプロ実績は、彼らを越えるものを得るまでになって行った。一見、イケメンでまじめな長島、王の天性的活躍に対して、鈍重な耐えて目立たぬ野村は、なにくその選手時代から、頭脳を使ったデータ野球を駆使して監督の地位を築いて行ったのだ。表の華やかさに勝てる、裏の戦略を身につけたのである。

時代は、勝負の世界は、勝利する事には変わりないが、腕力だけで勝つのではなく、智力で勝つ事の社会状況になって来ていて、野村の時代になったのである。真面目一方で表に出なかった事が、良くも悪くも自分をさらけ出し、メディアの前に登場して、本音を言う。野村のぼやきも彼一流の戦略だろう。言葉の一言に反応する環境を知っているのだ。

スターにたじろいていた野村が、スターを創りだす、その快感が野村を支えている。ぼやきながら勝利することが、ただの「ひまわり」より輝く事が野村の年齢を重ねる事に強くなって行っているのだ。

それが、野村の野球とともに生活して来て、人生の良さも悪さも、美しさも醜さもコントロール出来る世界を得て来た事で、野球バカと言われようが、自信満々の野村克也が存在している。「もう一年やらしてくれれば優勝出来る」と往生際の悪い事を平気でぼやくのも、年齢が74歳であろうが、「青春」している野村克也を見る楽しみはある。

「一生涯、一選手であり、一監督である」

【了】

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