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PJ: 池野 徹

故マイケル・ジャクソンさんの新名所、NYハーレムに登場
2009年08月06日 08:55 JST


"We Are The Greatest" Pic by Franco Gaskin(撮影:Kimi) 

マイケル・ジャクソンの亡くなった後、ニューヨーク・ハーレムはアポロシアターを中心にして、マイケルを偲(しの)ぶ人たちが毎日溢(あふ)れているという。その死を悼む人たちに触れて思わず涙が出てしまったと、ハーレムの長い住人で、お店のシャッターの絵を描いてハーレム文化にまで高めたフランコ・ギャスキンさんと奥さんのキミは、あらためてマイケルの凄(すご)さに、民衆に与えるその影響力に驚いていたのであった。

1966年、ジャクソン5が結成された。そのリードヴォーカルとして、マイケルは1967年8月13日、アマチュアナイトというタレントコンテストに、ニューヨーク・ハーレムのアポロシアターに登場。見事に優勝する。翌年、モータウンレコードと契約する。しかし、当時スティービー・ワンダーが新人でおり、すぐには出られなかった。

1969年、「I Want You Back」でメジャー登場。その後は、ハイトーンのビブラートの発声がファンを惹(ひ)き付け、運命的なヒットチャートを駆け上がったのだった。ハーレムはマイケルの最初のスタートの地となったといえる。1973年、東京音楽祭にゲストでジャクソン5として初来日、その時に見た、あのこましゃくれたキュートなマイケルが、希有(けう)な一生を突っ走るとは。

フランコはちょうどマイケルが亡くなった時に、ハーレムで「CHAMPS」というスニーカーショップの絵を描いていた。毎日たくさんの人が「マイケルは登場しないのか」と質問攻めにあい、フランコは、実は他のショップで描く予定だったが、このショップで描く事に決めたのだった。

シャッターがちょうどフラットだったので描きやすいこともあり、スニーカーショップのシャッターに、3面あるうちの一つにマイケルが登場したのだった。アスリートが描かれ、「We Are The Greatest」のタイトルに、マイケルが天空の空間に両手を広げ、まるで天国へ飛んでいる絵が描かれている。「Never Say Good-bye」とキャッチコピーが入っている。今では、道行く人々のお気に入りになり、その前で写真を撮る人が多く現れている。

「King of Pop」とまで言われたマイケル・ジャクソンという、凄(すご)いスターであったが、彼がそこまで登り詰めて、その人間的成長過程も知っているハーレムの市民たちは、共感できた友人として、仲間として暖かくその死を見つめている様が、街に溢れている光景が、フランコの絵に象徴されているのだろう。【了】

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