PJ: 池野 徹
「ロック」と「ガン」は、清志郎を奪った。
2009年05月04日 07:29 JST

"Ya-ttsu -ke-ro-!" (撮影/制作:池野 徹) 
「ロック」という物の怪(け)が、忌野清志郎に取り憑(つ)いたのは、多感な少年の頃(ころ)だった。日本の周りは、欲望をむき出しにして金持ち国を追い求め上り詰めていた。食うには困らない、何かできそうだが、何もできない焦燥感が交錯して、若き少年の焦りと望みを追いかけていた。そのフィジカルとマインドに忍び寄ったサウンドの塊は、清志郎を震撼(しんかん)とさせた。ロックの真綿にくるまれた、もうひとつの清志郎が誕生したのだ。
それは、もう、どうあがいても逃れる事のできないロックの片道切符のトレインに乗ったのだった。ちょっと、気の優しい、照れ屋のシャイなヤツが、ロックをまとう事で、すべて解放されて、そのリズムアンドブルースに乗っていってしまった。ロックの発祥英語圏に在籍しない、男には、ネイティブのジャパニーズロックに自然に入っていった。日常の感じる事が、他愛(たあい)なくても、ロックのマジックに変貌(へんぼう)を遂げることが、よりいっそう、エスカレートしだした。
金髪のクリクリツンツン毛に、ズタズタヨレヨレ着物調ウエアに、濃いメイクアップを施し、細い眼をつり上げ。アイシャドウにまみれた。そのコレオグラフィに日本人・清志郎が居たのは間違いない。しかし、そこへの降り掛かるロックのシャワーは、オーティスであり、ビートルズであり、ジェームスであった。その身のこなしは、ミックそのものだった。そのメクラかましは、その最大特性は、清志郎のヴォイスと言って良い。あのしゃがれた高音のシャウトは、一度聞いたら耳にへばりついて離れないものだった。ここに、日本人ロック歌手、忌野清志郎が存在していたのだ。
オンステージしたロック歌手は、身の行動にブレーキがかからなくなる。吹き上がる体内の叫びがシャウトして、毒舌を呼ぶ。体制に対する我慢は、堰(せき)を切って繰り出される。ロックの毛皮は、猛獣にメタモフォーゼしてくれる。日常の言葉は、エロティックな比喩(ひゆ)を繰り出す射撃砲になり得る。清志郎のまじめなマスクの向こう側に、ヴァイオレンスとエロトスが葛藤(かっとう)しながらロックの刻みに浸っていたのは、忌野清志郎の音楽性の真骨頂になっていたとは、気がついているだろうか。
しかし、歳(とし)は食っても懲りずに繰り出す清志郎ロックは、その個性を高めていった。ロックの終焉(しゅうえん)は自身の体内からわき上がって来た。ロックと同意語になる、ガンと言うヤツだ。ガンの細菌野郎を退治できてない人間社会で、殊勝にも清志郎はインフルエンザのごとく体内に発生させてしまったのだ。見えぬガン野郎をフレンドにと仕掛けたが、今のガンは見向いてもくれない。ロックを奪う事はできなくても、清志郎を奪うのはいとたやすいのだ。
あの東京ドームでジョンレノン追悼のステージに立ったマイルス・デービスも、忌野清志郎も逝ってしまった事になる。バックステージで、小さな言葉が思い出される。シャイで真面目(まじめ)なこの男を奮い立たせているのは、ロックと言う怪物だと。天国へ駆け上がる派手なロードレーサーを今漕(こ)いでいるシュルエットが見える。
ジミ・ヘンドリックスの米国国歌に交錯して、忌野清志郎の「君が代」が燦然(さんぜん)とした葬送曲になってしまった。
♫もう一度だけ言おう 俺がロックン・ロールなんだ スゲえシャウトを見せてやる♫
【了】
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