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PJ: 池野 徹

「おとなの甲子園」盛り上がったWBC
2009年03月25日 08:57 JST


"Japanese !!!" (制作/撮影by TV Screen:池野徹) 

第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で侍ジャパンが韓国を破り連覇、2回目のワールドチャンピオンになった。16国の野球チームが、変則トーナメント方式で熱戦を繰り広げた。主催国はメジャーのアメリカであるが、当のアメリカはメジャーリーグ優先で、何かすっきりしない大会であるが、日本や韓国にとっては、国を挙げての応援合戦となり、国民が次第に盛り上がり、ナショナリズム高揚のフィーバーぶりになってしまったのである。

 変則というのは、韓国と日本は何と5回も対戦したのである。結果2勝2敗で決勝戦を迎え、日本が勝ったのだ。その分、日韓対戦が異常な事態になったのだ。今回の日本は、強敵キューバを2回も倒し、野球王国メジャーリーガーのアメリカを下しての世界チャンピオンという、歴史的意義もあった勝ちになったから、余計、日本人の野球熱を頂点にまで押し上げてしまったのである。

 野球はよくできたゲームスポーツだ。アスリートの心技体を発揮するのはもちろん、個人の才能と、団体の組織との組み合わせ、スローとスピード、投げる、打つ、守る、走るそして、戦略的、心理的、パワーと緻密、勝敗の天国と地獄それらが、コンバインして決められた回数の中にバイオリズムが交互にやってくる、つまらなさと、面白さの行ったり来たりが楽しめる、奥の深いスポーツである。

 野球は、1840年アメリカのアレクサンダー・カートライトが消防団の野外スポーツとしてやったのが起源と言われている。1846年、ニュージャージーのホーボーケンで、ニッカ・ポッカーズとニューヨーク・ナインが試合して、1対23でけりがついたそうである。21点先取で勝ちのルールであった。1876年、ナショナルリーグができ、1901年にアメリカンリーグがつづき、1903年、メジャーリーグが正式発足した。日本へは、1871年(明治4年)ホーレス・ウイルソンが現在の東京大学で教えたのがはじめとされている。1915年、中等部野球大会(現高校野球大会)が始まり、1936年、日本プロ野球機構が発足する。その間、1908年に、リーチ・オールアメリカンが来日。日米野球の始まりでスコアは17対0で日本の敗戦。1934年、ルー・ゲーリック、ベーブ・ルース等のメジャー選抜が来日、日本の沢村栄治、スタルヒン等と戦ったが、16対0位でメジャーが圧倒的だった。戦後1949年、3Aのサンフランシスコ・シールズが来日、日本の川上哲治や大下弘と対戦した試合を後楽園球場に見に行ったのを記憶しているが、野球はともかく、コカ・コーラのゲップとホット・ドッグのカラシにむせ返ったのが思い出される。試合は一方的にアメリカの大勝であった。

 それから時を経て、106年のプロ野球歴史を持つアメリカメジャーリーグと73年目の日本と、27年目の韓国チームが肩を並べて行われたワールド・クラシック・ベースボールであったのだ。そして、ついに、そのアメリカを破っての日本の世界制覇になったのだ。一流のプロのプレーヤーが、心を一つにして必至に戦う姿は、まさに「大人の甲子園」であった。そういう意味から日本人が興奮してもおかしくはないのだが、近ごろ、野球熱がほかのスポーツの、サッカー、ゴルフ等に追われてテレビ中継からも無くなりつつあり、衰退気味だったが、このWBCの地上波テレビ中継で、国民の視線をくぎ付けにしたのだ。

 世の中の政治不信、経済不況の鬱積(うっせき)が高まるなか、必死にプレーするアスリートの活躍に、日本人のナショナリティの端くれを認め、狂喜乱舞した感がある。日本人のスポーツ・エンターテインメントのルーツは、野球だったのだと実感させられたのである。老若男女がウレシそうに素直に喜びの表情を見せているテレビ映像は、久しく見る事のできなかった笑顔であった。

「イチローの最後の一撃が、本人と日本人に、どれだけ確信を抱かせたであろうか」

【了】

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