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PJ: 葦乃原 光晴

中世に誘う、「王子田楽」=東京・北区
2009年08月11日 09:40 JST


東京都北区の王子神社で8月9日(日)に、北区指定無形民俗文化財「王子神社田楽舞」が奉納された。(撮影:葦乃原 光晴、8月9日) 

東京都北区の王子神社では、8月の例大祭で北区指定無形民俗文化財「王子神社田楽舞」(以下、「王子田楽」と表記)が奉納される。

王子田楽は「魔除けの田楽」で、華美な花笠を付けて踊る。他の地方のどこの田楽とも似ていない独特のもので、形式美においては日本一の田楽とも言われている。中世に始まり、戦時中に一時途絶えだが、昭和58年に高木基雄(タカギ モトオ)さんを始めとする地元の多くの方々の力により復興された。

記者は「王子田楽」が奉納される8月9日(日)に、王子神社に取材に行った。しかし、悪天候で予定外の展開になった。

「王子田楽」は午後4時半から、王子神社の境内に設けられた舞台で始まる予定だったが、午後3時40分頃、雨がぽつぽつ降り始めた。雨足は次第に強くなり、午後4時過ぎには舞台に雨除けのシートが被せられた。その後、雨は止むどころか雷が鳴り始め、午後4時半には本降りになっていた。

午後4時半過ぎ、神社から「午後5時まで雨が止むのを待ちます」と案内があった。しかし、雨は豪雨になった。近年よく起きる、予測が困難とされるゲリラ豪雨だ。記者は、境内で傘を差して立っているのが辛くなり、雨宿りのため本殿の庇の下に入った。庇の先からは滝のように雨が落ちていた。これでは屋外の舞台で田楽を舞うのは無理なので中止になるかと思ったが、「本殿の中で行う」旨の案内がなされた。

結局、「王子田楽」は豪雨でも帰らなかった300-400人の観衆を前に、午後6時頃から神社の本殿で始まった。なんと、「王子田楽」を舞うのは中学2年生以下の子供だった。

境内で配られた「王子田楽」の解説には、「田楽躍(おど)り」としての芸能の基本要素(主役が居る。ササラ、鼓、小太鼓を持つ。陰陽に分れて躍る。鎧武者に警護される。神迎えの「七度半」の儀礼がある。舞台下での中門口〈ちゅうもんぐち〉の躍りを伝える。)をしっかりと伝承してきた。と書いてある。また、日本各地のどこの田楽とも似ていない独特のものとも書かれてあった。

鎧武者たちに護られた8人の舞童が太鼓と笛の音に合わせ、ビンザサラ(短い板状の木や竹を何枚も紐でつなげた楽器)をシャラリ、シャラリと打ち鳴らしながら優雅に舞う。ゆったりした楽器の音色と躍り、衣装や花笠の華やかさ、それに舞童の可愛らしさが加わり、穏やかで心地よい、中世を思わせる別の世界に引き込まれた。「王子田楽」は、確かに唯一無二の特別なものに違いない。

記者は、神官も、祭りの役員も、鎧武者も大人たちはみんな脇役で、「王子田楽」の主役は子供たちだと感じた。神迎えの「七度半」の儀礼を執り行ったのも小学一年生か、それ以下の幼児に見えた。大人たちは、子供たちが立派に役目を果たせるように、気を配り、声をかけ、暖かい目で見守っていた。そして、子供たちは精一杯役目を果たしていた。記者には、その雰囲気が心地よく感じた。

実は、「王子田楽」を本殿で奉納したのは平成元年以来だったそうだ。平成元年は台風で、本殿で奉納したときには観衆は一人も居なかったらしい。しかし、今回は本殿に入りきらない3、4百人の観衆が見守った。20年間で「王子田楽」の素晴らしさが認められてきたのだろう。

記者は、「そうだ、この人たちは、この伝統文化を復興させて伝承している人たちなのだ」と、改めて思い出していた。復興前から田楽を躍っていたのは子供たちだったそうだ。きっと大人たちは、ずっと昔から優しい目で子供たちを見守っていたに違いない。

取材しながら「王子田楽」を見ていて、その独特の心地良さの根底にあるのは人々の暖かさではないかと感じていた。【了】

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