PJ: 今藤 泰資
だんじりの街、岸和田を歩く。=大阪
2011年06月21日 18:14 JST
岸和田城と岸和田市役所。機会を得て勇壮なだんじり祭りの写真を届けたい。(6月3日撮影:今藤泰資) 
【PJニュース 2011年6月21日】6月の初旬、大阪湾に面した都市、岸和田へ出掛けた。泉南地方の中心地・岸和田は旧岸和田藩の城下町として栄えてきた人口約20万の特例市である。建武元年(1334年)、楠木正成の甥・和田新兵衛高家を代官とし、堺に居を構えていた和田氏をこの地に移りすませた。以来、「岸の和田」、岸和田と呼ばれるようになった。
岸和田といえばだんじり祭りだろう。勇壮な祭り風景はなんどもテレビで見て心を踊らせたが、意外にもしっとり落ち着いた江戸の名残りを今に偲ばせる土地であった。戦災の影響が少なかったのか、古い町並みがそちこちに残り、重厚な商家の壁は厚くて高い。
だんじり祭りの由来はそう古くはない。元禄16年(1703年)、岸和田藩主岡部長泰が京伏見稲荷を城内三の丸に勧請。五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭が始まりという。住民がこの催事を大切に護るのは城郭の一角に設けられただんじり会館をみればわかる。数日前訪問した人口わずか5万人強の三重県亀山市もそうであったが住民が意識する歴史認識の確かさは、その土地に城郭があるか否かによって定まるものだ。
市街の中心地には古くからあるような魚屋があった。どこの街からも鮮魚商や八百屋が姿を消し、巨大資本のスーパーが占拠する時代にあって、こうした商業形態が維持されることは稀有である。つまりは、岸和田という町の住民らが支持し続けてることになる。岸和田駅の隣り蛸地蔵駅近くの魚屋はさらに旧態然としており、セメントと小石で固め、傾斜した流し台が売り場。戦前戦後を知る人間には、懐かしい光景である。
松江や松山、松本。あるいは飫肥や熊本、鹿児島…伝統文化を今に残す土地には、必ずといっていいほど見事な城郭が残り復元されている。残念ながらわ足しの住む茨城には水戸をはじめ、土浦や取手、下館など、どこの地にも城郭は見当たらない。城のない人の営みには大切な「食文化」が創生されことも、伝えられることも少ないのである。【了】
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