PJ: 今藤 泰資
大韓民国の「陰」と「陽」=ソウル中心部に見る陰陽
2009年06月22日 10:29 JST
徳寿宮大漢門前を練り歩く古式豊かな衛兵隊。追悼される前大統領も永眠できまいと思うのは異国人だけなのか?(6月10日撮影:今藤泰資) 
【PJニュース 2009年6月22日】6月10日の朝、ソウル訪問の恒例にしたがって、わたしは徳寿宮(トクスグン)の衛兵交代式に出掛けた。だがこの日、地下鉄を降りて大漢門の前に立ったわたしの目の前に、異様な光景が広がっていた。毎日数回行われる交代式会場は、故盧武鉉(ノムヒョン)氏の死を悼む仮設テントに不法占拠した市民団体(実態は政治団体か)の手によって、張り紙やポスター、雑多なゴミなどで埋め尽くされていたからだ。韓国特有の対デモ、テロの特殊警察である「戦闘警察」(チョントウ・キョンチャル)は、車列を数百メートルほど離れて多数配置していたが、排除するそぶりはまったくなかった。
交通警察官は、参拝客らしい喪服姿の男らの駐車違反には、暗黙の了解でもあるのか見て見ぬふりをするだけだ。定時になっても衛兵交代式は始まらず、徳寿宮の守衛に問うたら「30分遅れて行う」と困惑気味に英語で応えた。結局この日の衛兵交代式はわずか数分、古式豊かな30名程の衛兵たちが笛、鐘、太鼓でにぎやかに練り歩いただけだった。このざまでは、愛国心旺盛な前大統領も永眠できまいと異国人には見えたが、どうやらそれは的はずれらしかった。仕事で行き来する人の多くは無関心を装っていたし、7、8人の保育園児を従えた保母さん唐突に現れ、戸惑い気味に歩いたりしていたからだ。東京の都心、銀座や日比谷界わいで、昨今子供らの遊ぶ姿など見たことがない。住宅事情の違いでもあるのか、「都心のデモと保育園児」には驚いた。やはりここは異国なのである。
前日9日から、徳寿宮正面に位置するやソウル市役所の庁舎は全面改修作業に入っていた。中心部の観光名所が、あるものはデモ隊に占拠され、あるものは名物庁舎の全面改修では韓国初見の外国人観光客はさぞ不満だったろう。こうした発想は、仁川(インチョン)国際空港や、釜山(プサン)国際港など「アジアのハブ」とまで誇る主要インフラを、意味の少ない労働運動の拠点にする韓国ならではのこと。バランスを欠いているとわたしには思えた。
1926年に建造された市庁舎は、市内北部にある北岳を「大」と見、李氏朝鮮の故宮景福宮(キョンボックン)をさえぎるように建てられた旧朝鮮総督府を「日」とし、市役所を「本」とする字形が「大日本」という単語となるという。「日本帝国主義の残滓を排除する」見解が戦後60数年を経た今になって噴出することは、韓国大好き人間のわたしでさえ納得できない。旧来型の「日帝構造物」とされる駅舎、病院、学校、銀行、公園など、現存する建物を排除すれば、ピカピカ光る建造物しか残らない。どのように転換するのも韓国人の自由だが、アンチ日本で過去の決着はつかない。好むと好まざるとにかかわらず、大韓民国のインフラも法制度や教育システムから刑務所まで、日本植民時代の有益な遺産なのであって、決して「負の遺産」ばかりではあるまい。そのことを一番認識しているのは、当の韓国人自身なのではないだろうか。
一方、同じ中心部に位置しながら、常に静謐(せいひつ)を保っているのが清渓川(チョンゲチョン)である。李氏朝鮮以来、その名に似合わず「汚物の流れる川」として悪名高い川を暗渠にし、さらに高速道路と化した河川を復元させ、観光名所に仕立て上げたのは、ソウル市長当時の李明博(イ・ミョンパク)現大統領である。わずか数キロ四方の狭いスクエヤの中に、前大統領の死を悼む集いや、韓国の三大紙・朝鮮日報、東亜日報、中央日報に対する広告忌避などの政治運動が展開され、復活した川岸では何事もなかったかのように子どもらが水遊びに興じ、一方大統領官邸では「北の核攻撃への備え」に余念がないのである。陰と陽の入り混じるソウルは、異国人の経験や知見をものの見事に崩壊させてゆくのであった。【つづく】
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