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PJ: 今藤 泰資

【よこ顔】湖岸文化の再生を願う。老舗料亭の若旦那堀越礼さん(上)
2009年03月25日 09:03 JST


歴史を誇る料亭「霞月楼」(かげつろう)料亭の6代目の若旦那、「童顔なので、いつも年相応に見られません」と本人は控えめだが、なかなかのやり手というのが昨今の評判(撮影:今藤泰資) 

茨城県南部の土浦市。古くから商業で栄えたこの中ほどに、歴史を誇る料亭「霞月楼」(かげつろう)がある。料亭の6代目となる若旦那が、34歳の堀越礼さん。「童顔なので、いつも年相応に見られません」。本人は控えめだが、なかなかのやり手というのがもっぱらの評判となっている。それもこれも、湖岸文化の再生に挑戦する姿勢が、多くの賛同を得ているからだろう。

なにせ、創業120年記念事業と土浦桜まつりに協賛し、「お花見の屋形船」を本年4月4日(土)に運航することが、「水のマチ土浦」への関心を高めているからだ。桜見物を楽しんだ後、霞ケ浦を屋形船で遊覧し、「花見点心」を味わう趣向で、乗船代、料理、各種アルコール類一切無料という大盤振る舞いなのである。当日の昼夜2回計30組60名の乗船客には、「霞ケ浦屋形船再生事業」の一環として、アンケートによる調査をあわせて行う予定だ。

霞月楼の創業は明治22年(1889)年。この年、茨城県では全国的に見ても一早く鉄道が開通している。それまでは「水運県」として通ってきたのも当然のこと。180キロに伸びる海岸、霞ヶ浦と北浦の220キロの湖岸、坂東太郎こと利根川に代表される多くの河川は常陸国茨城の特徴であり、明治初期には東京の隅田川を遡航(そこう)し、江戸川、利根川から霞ケ浦に至る外輪船「通運丸」が就航していたほどであった。

水戸鉄道(現在のJR水戸線)の開通は、「水運県茨城」の転換期ではあったが、水のマチ土浦にはその頃なお、江戸の名残の水路が広く張り廻(めぐ)らされていた。そもそも土浦城は、貞享4年(1676年)土屋氏中興の祖土屋政直が入封。代々9万5千石、常陸国では水戸藩に次ぐ大領地約200年間支配し、明治維新に至った歴史がある。往時の土浦城は、霞ケ浦を巧みに利用し、水に浮かぶような名城であっという。

料亭としての先輩格「割烹日新楼」が周囲を取り巻く水路に着目し、屋形船による宴席を売り物にしていたのも、日を月に換えて開業した霞月楼したのも、水都土浦の歴史から見て当然のことであったに違いない。こうした「水の茨城の歴史」に気づかない現代茨城県人に強いインパクトを与えているのが、堀越礼さんということになる。

堀越さんは、静かな口調で一連のもくろみをこう説明する。「わたしが創業120周年の催事をつかさどるのも何かの因縁。先輩方の話をお聞きすると、昔の土浦はよかった。霞ケ浦は水泳場があるほど水は澄んできれいだったそうです。何より船の浮かんでいない湖畔は寂しいし、水辺の存在は観光資源として無視できない」。そう話ながら、財布の底から折りたたんだ一枚の紙片を取り出した。

文字がややゆがんで見えるのは、「昨年亡くなった祖父恒二の書き置きです」。そこには、「五常の徳 仁義礼智信」とあり、また「智は道を説く心、朝はものごとの初め、やさしい思いやり」とあった。儒教でいう五常の徳とは、人が守らなければいけない5つのルールのことで、代々堀越家にはこの名を用いる習慣があったという。もちろん礼さんの名の由来でもあるが、祖父没後すぐに生まれた長女には、智朝(ちさ)と名づけたのも、「輪廻転生(りんねてんしょう)を感じます」と、現代青年には見当たらない側面をのぞかせる。

地元大学の教養課程を修了後、アメリカ西海岸・サンディエゴにある旅行関連とホスピタリティを教える「トラベル・ユニバーシティ・インターナショナル」に留学した。好奇心旺盛の上、ともかく勉強熱心な料亭の跡継ぎは、「有意義な3年間を過ごしました」。帰国後、都内の超一流ホテルのフロントマンとして活躍、28歳になって土浦へ戻った。

帰国直後の礼さんを、叔父で霞月楼専務でもある堀越雄二さん(57)は、「いや、それは皆と意見が違いましたよ。後継者だけで仕事がただちにできませんからね」と言いつつ、「あれは3年ほど前だったかな」と礼さんの顔をのぞき込むようにして、「商工会議所の青年部で、指導力を発揮していたのに驚いた」という。【つづく】

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