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PJ: 今藤 泰資

筑波山ろく、天狗党ゆかりの古刹・普門寺の春
2009年02月08日 08:28 JST


筑波山ろくの古刹・普門寺。天狗党ゆかりのこの寺では春を告げる紅梅が開き始めた(撮影:今藤泰資) 

暦の上ではもう春。暖かい風に誘われて筑波山ろくの古刹(こさつ)・普門寺を訪れた。茨城桜川市からつくば市にかけての「つくば道」沿いには、あまり知られていない名所旧跡が多い。「どっこい真壁の伝正寺」で知られ伝正寺は、文永5年(1268年)真壁城主であった真壁時幹(ときとも)の創建。浅野長政が菩提寺として定めた寺としても有名だ。椎尾山薬王院は、標高200メートルの椎尾山中にあり、延暦元年(782年)最仙上人による開山で、荘厳なたたずまいを今に伝えている。また、小田城は中世の城郭としては珍しい平城。南北朝時代、北畠親房が「神皇正統記」を著したことでも知られている。

 茨城の県西地域に住むわたしは、ほとんどの旧跡は何度も訪れたが、愚かにも普門寺の存在はまったく知らなかった。この日、寺の住職夫人から手渡された『普門寺の歴史と阿弥陀浄土信仰』という解説書には、おおむねこうあった。「この寺は、元享年間(1321-1324)、当時筑波山ろくで布教活動をつづけていた乗海大和尚によって開創された天台蜜教系の寺院であった。常陸国の豪族・小田氏の庇護を受け発展の基礎を作った」。つまり700年を超える歴史を持ち、戦乱に明け暮れた世を反映してか、阿弥陀浄土信仰を中心に据えたのだろう。

 この寺の第一本草は阿弥陀如来で、第二本尊は釈迦如来だという。釈迦は「迷わず信心の道を進め」と教え、阿弥陀は「他の目をくれずに浄土へ来い」と手を差し伸べるのだ。京嵯峨野の「二尊院」の本尊と同じ「遺迎の二尊」と呼ばれるもので、文字の読めなかった大衆へ仏教を伝えるには手堅い手法であったのかもしれない。9000平方メートルの境内には、寛政年間(1789-1810)に再建された本堂のほか、客殿、鐘楼、それに天明年間(1781-1789)に再建されたという見事な赤門が残されている。

 40過ぎであろうか面立ちのはっきりした住職夫人、「赤門のそばに天狗党の由来がある」と茶を勧めながら解説をしてくださった。1864年5月2日(元冶元年3月27日)、水戸藩の尊攘派が一体となり、武田耕雲斎・藤田東湖の一子小四郎・田中愿蔵らが中心となって、筑波山に義旗を風になびかせ挙兵した天狗党の総勢はおよそ700人。田中愿蔵は別動隊を組織、栃木町(栃木市)や真鍋宿(土浦市)などに軍資金を要求、拒否されると放火、多数の罹災者を出したとされている。普門寺には愿蔵らの陣屋があったとあったが、金品目当ての騒擾事件という背景があってか、意外にも地元での評判は芳しくない。明治以降、「茨城の歴史は、明治維新で消えうせた」と断言する知識人もいる。

 茨城県つくば市神郡(かんごうり)の普門寺(029-867-0185)は、事前に連絡すれば寺の由緒から、周辺の物語などを湯茶の接待を受けながら聞くことができる。普門寺は、桜の寺としても名高いから、4月には筑波山ろくを歩くのも面白そうだ。【了】

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