PJ: 今藤 泰資
最近の中国(東北部)事情=(2)人民なき人民の国
2008年11月01日 09:03 JST

大連ー瀋陽間約400キロの鉄路は、往復ともに好天に恵まれた。大満州を夕日は赤々と染め抜き、わたしは複雑な心境にひたっていた。(撮影:今藤泰資) 
(1)からのつづき。今回、大連−瀋陽間約400キロの鉄路を、往復することができた。好天に恵まれた満州の夕日が赤々と染め抜くなか、わたしは複雑な心境にひたった。満州には、かなりの思い入れがある。戦時中、遼寧省鞍山に住んでいた次姉は、2歳の娘の手を引いて故国に帰還した。多くを語りたがらなかった姉だったが、ソ連軍に追われ、中国人の迫害を受け、幼子を連れての旅は考えただけでも鳥肌が立つ。頼りとする夫は現地で召集された上、シベリヤに流された。親子2人、知る由もないままの逃避行だったのである。結果として幼子を連れ帰れたが、多くの幼児は、残留孤児となって不幸な運命をたどった。
建国以来、巨大国家を動かしてきたのは、数少ない指導者である。毛沢東は強力で巧妙な手さばきによって、指導者としての地位を確実にしてきた。1960年代後半から1970年代の前半にわたる文化大革命は、毛沢東と劉少奇との権力闘争であった。このころから実力をつけてきた江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人の政治局員のいわゆる「四人組」は、暴力的な大衆運動を指揮。資本家の攻撃は、学者、医師、高級官僚などの知識人にまで及び、有能な人材の多数が弾圧を受ける結果となった。
さらには文化財や歴史的遺産の多くが甚大な被害をこうむり、行方不明者を含めた虐殺数は、最大約3000万人とされる。意にそぐわない人物らに対する大粛清は陰惨を極(きわ)めた。「文革」の後半は、紅衛兵運動と呼ばれ、総帥は毛沢東の4番目の夫人・江青であった。毛沢東と20歳離れた江青は、女優出身の才女であったが、この運動を通じ「紅色女皇」とまで呼ばれた。政治や思想、文化などの改革運動を、反権力主義者、反革命主義者らの粛清の場に転換したのである。ここからわたしは、「陰の中国史」を発見することができる。権力をもてあそぶ女性が跋扈(ばっこ)したのがこの国の歴史なのである。
7世紀の則天武后は稀代の悪女とされ、8世紀には玄宗皇帝の寵姫・楊貴妃によって「安史の乱」が勃発、国は乱れに乱れた。清王朝末期に君臨した女帝・西太后も皇帝文宗の死後、政敵を次々と処刑。思うがままに権力を振るったため、国費を浪費し、日清戦争で惨敗したとされている。中国では、どの時代の名君の傍(はた)にも、多くの悪女がいたのだ。書経の中に「牝鶏晨す」という古い諺(ことわざ)がある。雌鶏(めんどり)が時を告げる時は国が滅びるという意味だが、言い得て妙である。
さらにまた、中華人民共和国では、建国以来「人民のための国家」になっていないことが指摘される。建国以来、再三繰り返された権力闘争は、そのつけはすべて人民が支払う構図のように思える。農業であれ、工業であれ、漁業であれ、末端の「人民」が笑えた日は長い歴史の中で、いかほどあったか。朝鮮動乱に際し、中国軍を派遣した毛沢東は、得意の「人海戦術」を誇らしげに「中国には掃いて捨てるほどの人民がいる」と毒づいた。仰々しい五輪大会を開催し、人工衛星を打ち上げ、経済的にも国際社会の一員となった今日でさえ、虐げられた「人民」がどれほど多いことか。
内陸部と沿海部の格差の多いことはよく知られているが、大連のような沿海部でさえ、疲弊した「人民」が、大きなズタ袋を抱えながら移動する姿を見かけた。その後ろ姿には、世界に覇を唱(とな)える国家の構成員であるとは到底思えなかった。その一方では、邦貨換算2億円−3億円超の高級住宅に定住する人が増え、ベンツやBMWといった高級車が軽やかに走行するような、階級社会が構築されているのだ。
この国では、不動産市場が解放されているように見えても、土地を私有することはできない。いかなる高級マンションも、高級住宅地でも、地上権は国家に所属する。それらの所有者は単に70年間の租借権を確保するだけ。事情通に言わせれば「先のことは分からない」という。当然だ。巨大で強力なこの国家は、建国以来わずかに59年。俗に「中国三千年の歴史」というのは、言葉のアヤでしかない。そう考えれば、政治と人、富と貧、思想や宗教の不自由、国中をかき回すインフラ整備など、いまだに建国途上の国家であることが認識されるのだ。
旧満州鉄道の路線周囲は(少なくとも)大連ー瀋陽間では荒野が続くというわけではない。低い丘陵が次々に現れ、10月下旬のこの時期には、ただ延々とサトウキビ畑が続くだけだ。広軌の路線は思ったより乗り心地がよい。わたしはぼんやり昔見た映画を思い出していた。満州鞍山の昭和製鋼所に入社し、現地で召集を受けた五味川純平の小説、「人間の条件」。映画化された作品の主役は、精悍(せいかん)な面持ちの仲代達矢であった。大学生であったわたしは、この映画から強い影響を受けた。戦争の恐怖と、満州という土地へのあこがれである。あれからもう半世紀が経過した。「日暮れて道遠し」、これが中国の現状なのかも知れない。沈む夕日を見ながら、わたしはそう思った。【つづく】
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