PJ: 穂高 健一
新名所・小田原七福神は八年目で末広がり、人気は急上昇
2006年01月04日 13:20 JST

小さなお堂に、大勢が押しかける。人気が出てきた小田原七福神 (撮影:穂高健一) 
正月3日から各地で、七福神巡りが動きだす。七福神は江戸時代から、庶民が富を求める信仰のひとつであった。大きな城下町にはきまって七福神がある。東京だけでも隅田川、北千住、柴又、入谷、人形町、芝などと数多くある。
しかし、小田原城下は商業、文化の大都市でありながら、長く七福神がなかった。それはなぜか。江戸時代から発起人が現れなかったのか。『小田原評定』で、寺どうしの話し合いがまとまらず、七福神ができなかったのか。理由は未だにはっきりわからない。二人の住職の努力によって平成10年、小田原城を四方から囲むように、七つの寺院に配置された七福神巡りができあがった。
毘沙門天を奉祀する潮音寺が、小田原七福神巡りのスタート地点となった。毘沙門天といえば、福の神というイメージよりも、戦国の名武将・上杉謙信を思い浮かべてしまう。安藤住職はこう説明してくれた。
「毘沙門天の功徳(くどく)のひとつに、勝軍福(しょうぐんふく)があるんです。つまり、戦いに勝つことも福なんです」。毘沙門天を旗にかかげた上杉謙信の戦いは負け知らずであった。スポーツ選手などがそれにあやかりたいと潮音寺にお参りに来るという。
1月3日の朝からお参りがあった。葛飾ハイキング連盟の52人が潮音寺の境内にやってきた。三代目理事長の三浦さんはこのクラブについてこう語る。「ことしは五十周年記念で、小田原七福神は1728回目のハイキングです」。それは気の遠くなる登山回数である。
「都内23区のなかで、50年間にわたり、これだけ活発な区民ハイキングを続けてきたところは、他にはないでしょう。対象の山は北海道から九州まで。去年は小笠原にも行きましたよ。どのプランも、参加人数は五十人前後です。毎年、1月3日はだれもが参加しやすい初詣ハイキングに決めています」。
ことしの初詣ハイキングのリーダーに選ばれたのが神田さん、中村さんである。50周年記念行事だから、まず気の利いた七福神巡りを考えたという。11月に入ると、候補のひとつ「小田原七福神」に下見にきた。街には城下の雰囲気がたっぷり、情感がある。歩道には起伏があり、折々に相模湾の光る海が一望できた。歩行は三時間で、年配者にも参加しやすい。リーダーたちはほれ込み、小田原七福神に決めたと教えてくれた。
潮音寺の安藤住職は小田原七福神の発起人のひとりである。成立するまでの苦労を聞いてみた。前市長のとき、安藤住職は小田原七福神の構想を市に持ち込んでみたという。大きな問題が横たわっていた。毘沙門天、大黒天、弁財天は小田原城下にあるが、ほかの四福神となると、広域に分散し、相模全域になってしまう。「これでは庶民の足で回れない」と前市長が難色を示し、頓挫したのである。
平成九年になると、こんどは真言宗・圓福寺の木内住職から、七福神発足への呼びかけがはじまった。二人三脚で、小田原七福神の成立にこぎつけたのだという。
圓福寺の木内住職からも経緯について話を聞くことができた。戦国時代になると、北条氏が秀吉に破れたことから、小田原城主はその後において何度も変わった。そのたびに菩提寺、別院が作られてきたことから、寺の数が多い。小田原市内には164の寺があり、その数は横浜に次ぐという。
圓福寺には以前より檀家から預かる、布袋尊が祀られていたという。そう前置きした木内住職が「霊験あらたかな、布袋尊の功徳を檀信徒(だんしんと)の皆さんにお分けしたいと思っていました。由緒ある七福神の像や軸を寺内に祀る、小田原市内の他の寺院住職と話し合った結果、地域の方々に喜んでもらえる、七福神の巡拝路(じゅんぱいろ)を小田原に造ることになったのです」と説明された。
木内住職がみずから万歩計をつけて歩いてみると、七つの寺を回るのは約1万5000歩、健康にもよい歩数だったという。スタートの寺にこだわらず、どの寺で七福神巡りが終わっても、帰り道には名城の散策が楽しめる。それに新幹線が停まる小田原駅は目のまえだ。
木内住職は『小田原七福神の色紙』の作成にあたって、小田原のシンボル・小田原城のイラスト入りを提案した。日本最古の『都七福神』の色紙がヒントになったという。圧巻は、水掛布袋尊の像である。頭から水をかけると、笑っている顔になる。それは不思議な現象である。「単なる愉快さでなく、密教では水で清めるという教えがあるんです」と木内住職が説明された。
葛飾ハイキングに母子で参加していた飯塚さんが、柄杓で布袋尊に水をかけた。ユーモラスな布袋尊になる、可愛い、と三十半ばの娘さんと語り合う。宝船号バスツアー(主催・小田急トラベル)がやってきた。布袋尊の前にはたちまち長い行列ができた。正月早々、神さまと笑顔で対面ができた、と多くが喜んでいた。【了】

