PJ: 穂高 健一
浅草歴史・文学散策(1)=浅草・雷門
2012年01月30日 05:52 JST
浅草・雷門から参道に入ると、露天商が黙々と実演販売していた。まさに庶民の街である。(撮影=穂高健一、1月10日、東京・雷門) 
【PJニュース 2012年1月30日】都内にも雪が降り、木枯らしが吹くし、外気は冷たい。これぞ、と思う花は野山や公園・庭園にもほとんどない季節である。外出はとかく億劫になりやすい。
大寒から立春に近づけば、風のない日中となると、陽射しにはやや春の気配が感じられる。各地の名所、旧跡、史跡などを訪ねてみたいものだ。
浅草は明治、大正、昭和初期まで、歌舞伎、芝居、落語、映画など都内随一の興行街だった。大衆演劇、という独特の浅草文化が育ち、それが全国に広がっていった。その面影が残る。
浅草がなぜ発達したのか。江戸時代の武士の給料は米で支給されていた。隅田川沿いに隣接する蔵前には、全国の各藩から集められた米が保管されていた。と同時に、江戸庶民の食用米も含めた、米蔵が設置されたのである。
浅草御蔵(蔵前)とよばれた、金蔵であり、札差(株仲間)も生まれた。警備の下級武士らが多く住み、かれらが浅草で遊んだことから、町が栄えた。
現代の浅草は、東京スカイツリー人気から注目を浴びている。オープンすれば、往年の繁栄の復興を思わせる、浅草人気が予想される。
浅草周辺は、松尾芭蕉など江戸時代から多くの文人の石碑がある。歴史散策と文学散歩が堪能できる。それらを紹介したい。
地下鉄・浅草駅から約2分で、朱塗りの雷門がある。浅草寺(せんそうじ)の山門で、右側に風神、左側に雷神が配置されている。巨大な赤い提灯は重さが約700?あるという。
修学旅行生などが寝そべって、真下から見上げた角度で撮影する、面白い光景などにも出会うこともある。
雷門をくぐると、庶民の街が飛び込んでくる。【つづく】
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記者HP:穂高健一ワールド
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