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PJ: 穂高 健一

浅草ストーリーを創る人びと=春川ひろし(中)
2010年01月23日 07:29 JST


ドイツ、アメリカの会社に勤務し、28カ国、地球6周半に及ぶ。それを捨てて、49歳で、浅草・HUBを中心としたジャズのプロ活動に入った。(撮影:穂高健一、1月3日、東京・浅草) 

【PJニュース 2010年1月23日】(上)からのつづき。昭和の高度成長期を境に、浅草の街は斜陽化した。TVの全盛期から、浅草に足を運ばなくても、ブラウン管を観て、笑い、楽しむ時代になった。やがて、浅草文化も方向性を失ってしまった。

「ロッパ、エノケンが活躍した常盤座も、デン助が活躍した大勝館も消えてしまいました。浅草がシャッター・ストリートになりかけていた。新しく浅草文化を構築し、街を活性化させる。それには新しい発想が必要なんです」
ジャズ・ドラマーの春川ひろしさんは、浅草の再構築に、陰の力で携わっている。

浅草の町おこしの発想や着想は、他とは違う。浅草おかみさん会(冨永照子会長)の提唱により、二階建てバスが浅草に導入された。米国・ニューオリンズが発祥の地である、デキシーランド・ジャズが浅草の音楽に加わったのだ。そこには浅草は国際観光都市の自負があるからだろう。

「浅草はここ数年、TVで取り上げられる人気度では、銀座、渋谷、原宿を抜いてNO1にのし上がってきました」。春川さんは確かな手ごたえを得ている表情で語った。

春川さんは東京生まれ。大学時代はキャバレーやダンスホールで、ジャズバンドでドラムをたたくプロ活動をしていた。その後、ドイツのレンズのトップメーカーに7年、アメリカのメガネ・メーカーに13年にわたって勤務した。メガネ・フレームの設計分野では独自の構造力学が脚光を浴びた。

メガネは世界各国で必要とされるものだ。かれは各国でメガネ・フレームの工場作りに携わった。28カ国、地球6周半に及ぶ。この間はまったく音楽に無縁だったという。

「世界を飛び回る、お金のためにネクタイ姿になる生活はもうやめた。日本で、思うままに、自由人として生きる」。そう決断した春川さんは41歳で、アメリカで辞表を出して日本に帰ってきた。そして、浅草に住居を構えた。

49歳で、浅草・HUBを中心とした、ジャズのプロ活動に入った。『デキシーランド ジャズ物語』の冊子を作り、現在まで8000部が配布されている。10年前からは町おこしにも携わる。【つづく】

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記者HP:穂高健一ワールド
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