SakuraFinancialNews

PJ: 穂高 健一

「やまとうた」の美しさを観て、楽しもう=東京(中)
2009年11月26日 07:00 JST


京都・冷泉家は平安時代からの公家。国宝、重要文化財など500点以上が展示されている。(写真:滝アヤ、11月6日、東京) 

【PJニュース 2009年11月26日】(上)からのつづき。平安時代から公家であった京都・冷泉家(れいぜいけ)には、勅撰集(ちょくせんしゅう)、私家集(しかしゅう)、歌学書、古記録などが残っている。それは国家的な財産で、国宝、重要文化財など1000点以上が文化財に指定されている。東京都美術館で開催されている、「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」では、このうち約500点が公開されている。

同家は藤原俊成(しゅんぜい)、藤原定家(ていか)、藤原為家(ためいえ)と、天皇や院が任命する勅撰集の撰者が3代続いた。その流れの上で、江戸時代まで宮中に、和歌の家と仕えていた。

和歌に縁がない一般人の、同展の見どころとして、学生時代に聞きおぼえがありそうな、3人の歌人を中心に紹介したい。

同家の最初の勅撰集撰者は、藤原俊成(1114―1204)である。長寿だった。同展に展示された、『俊成九十賀図』は建仁3(1203)年11月23日に後鳥羽院(ごとばいん)から90歳を祝う賀宴を賜った、と記す。

絵画を観れば、俊成が(宮中で?)、両脇を付き人に支えられているが、自ら立脚している。おおかた賀宴を賜っているときだろう。
平安、鎌倉時代にも、これほど長命な人がいたのか、と驚かされてしまう。

藤原定家(1162―1241)は有名だ。『新古今集』(しんこきんしゅう)の撰者の一人となり、さらには『新勅撰集』(しんちょくせんしゅう)を単独で奏上した。定家は『古今集』を何よりも重んじ、生涯で十数回も書写している。

定家の日記である、『名月記』(めいげっき)は、定家の青春期から、80歳で亡くなる寸前まで書き継がれている。現存するのは19歳から74歳までの足かけ56年である。鎌倉時代の貴重な史料であり、現在は国宝に指定されている。

日記が書かれた間は、源平の内乱期、鎌倉幕府の成立、承久の乱の後に設置された六波羅探題と、大きな変革期であった。『名月記』には、京都に暮らす人々の姿が克明に描かれている。

さらには大地震や大雨など京都を襲った自然災害について、見聞をもとに記録されている。(横山和弘さん・コラム抜粋)。

定家の自選家集である『拾遺愚草』(しゅういぐそう)も国宝である。上中下に2885首が収まる。冷泉家歴代の歌人が、定家の歌集を教材に使ったのだろう、手擦れのあとが鮮明に残っている。それだけ重要視されてきた歌集だ、と物語っている。

紫式部の『源氏物語』の原本は存在しない。藤原定家が「源氏物語」を重要視し、写本している。そのこと自体も価値あることだ。

藤原為家(1198―1275)は風流人で、若き日には蹴鞠(けまり)に夢中になったという。建長3(1251)年には、後嵯峨院の下命で、『続後選集』(しょくごせんしゅう)を単独で撰した。さらには他の撰者とともに『続古今集』を奏上している。

京都・冷泉家は、俊成(しゅんぜい)、定家(ていか)、為家(ためいえ)と3代続いたことから、勅撰撰者の地位を不動にしたのだ。【つづく】

■関連情報
東京都美術館

記者HP:穂高健一ワールド

PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。

PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者