SakuraFinancialNews

PJ: 穂高 健一

「やまとうた」の美しさを観て、楽しもう=東京(上)
2009年11月25日 13:37 JST


国宝「名月記」藤原定家直筆、鎌倉時代前期=縦横約30センチの巻子装で伝わっている。(写真提供:主催者) 

【PJニュース 2009年11月25日】東京都美術館(東京・上野)では、「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」が開催されている。主催は同美術館、(財)冷泉家時雨亭文庫、朝日新聞、テレビ朝日である。前期と後期では全作品が入れ替わる。後期は11月25日(水)―12月20日(日)まで。観覧料は大人1400円、学生1200円。

一般の東京人は、京都の「冷泉家」(れいぜいけ)といっても、ほとんどなじみがないのではないだろうか。冷泉家とは京都の公家である。同家の藤原俊成(しゅんぜい)、定家(ていか)、為家(ためいえ)が平安時代末期から三代続けて、勅撰(ちょくせん)撰者となった。これら勅撰(ちょくせん)撰者を先祖に持ち、その後も宮廷や武家たちの歌道師範をつとめてきた、公家の家柄だ。

勅撰和歌集(ちょくせん わか しゅう)とはなにか。時の最高権力者であった天皇や院の命に応じて、和歌を集めて編まれたものである。当時としては国家的な一大文化事業だった。世の歌人たちは、「たとえ一首でも」入れられることは何よりの誉とされた。それら和歌をセレクトする、撰者になることは歌人にとって、このうえない名誉だった。

現代は短歌ブームである。新聞、雑誌などは歌壇がにぎわう。歌を詠む人は多い。それを反映した歌人、美しい文字の品格に魅せられた書家、一般見学者など多くのひとが同展を訪れている。

他方で、和歌と聞いただけでも、「中学、高校時代、古典は苦手だった、もう結構です」という人は多いだろう。それでも、和歌は「五七五七七」で詠まれるもの、と知る。藤原定家と聞けば、『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)、『百人一首』の撰者だったと、学校で習った記憶がよみがえる。

同展では、一般人がふだん観ることも、眺めることもできない国宝5件、重要文化財約400点、前・後期あわせて総出品数約500点が公開されている。古文が苦手で、ふだん詩歌とは縁遠いひとでも、本物がじかに見られた、という感慨は得られるだろう。

1朝1夜には和歌が習得できるものではない。そう割り切り、「読めない草書や巻物を無理して読もうとしない。わからない短歌を解ろうとしない」という気持ちで、PJは同展をのぞいてみた。「日本の美」の原点ともいえる、平安時代からの優雅な文化を知ることができた。

同展の各資料、解説、コラムの一部などを引用させてもらいながら、ふだん「和歌に縁がない一般人」の見どころのポイントを紹介してみたい。

冷泉家は、京都御所の北側に住宅を構えている。現在では、唯一のこる公家の住まいで、重要文化財に指定されている。同家の蔵には勅撰集、私家集(しかしゅう)、歌学書、古記録などが800年間にわたって蓄積された。

明治の東京遷都では、天皇家が東京に移ってきた。京都の冷泉家は京都にとどまった。もし東京に来ていたならば、関東大震災、東京大空襲などで、同家が保管する、王朝の貴重な書物は焼失していただろう。

さかのぼること、京都は平安時代以降、政争と動乱で、戦火の渦に巻き込まれている。大火なども多かった。冷泉家の人々は、これら文化的な財産を守り続けてきたのだ。

第二次世界大戦で、アメリカ・ルーズベルト大統領は同国の文化人の進言を受け入れ、京都と奈良の攻撃をさせなかった。歴史的な貴重な建物、書物などが戦火からまぬがれた。これらの背景を考えると、冷泉家の文化的財産が現存する、それ自体が奇跡的なものだともいえる。【つづく】

■関連情報
東京都美術館

記者HP:穂高健一ワールド

PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。

PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者