PJ: 穂高 健一
リタイア後の40年間無職は耐えられますか。
2009年10月20日 11:31 JST
『元気に百歳』クラブの10周年記念で、乾杯の音頭をとるのは101歳の船越卓さん(撮影:穂高健一、10月10日、東京・上野) 
【PJニュース 2009年10月20日】人間は誰しも、「自分は何歳まで生きられるだろうか?」と考える。明快な予測も、解答もない。世代によって、寿命のとらえ方はちがう。
10代、20代の頃(ころ)は、恋や情熱的な生き方から、老いたくない、長生きしたくない、と多くが思う。織田信長が好んだ『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり』という名言から、人生50年がリミットかな、と若者の多くは考える。
40-50歳の中年になると、自分は70-80歳かな、と推測する。ボケたり、寝たきり、そこまで生きたくない、と考えるものだ。リタイア世代(60代)になると、100歳を意識するひとが増えてくる。残る人生は約40年間。「元気に百歳まで、いかに生きるか」、それが大きな命題になる。
100歳以上の高齢者が全国で4万399人になった。(厚労省発表、09年9月現在)。「敬老の日」が制定された1963年は153人。98年には100歳以上の方が1万人を超えた。さらに、ここ11年間で約4倍になった。
「60歳で会社を定年、残る40年間は無職」。この解決はいかにあるべきか。もはや、社会全体で考えるときにきた。
10月10日、東京・台東区の上野精養軒で、『元気に百歳』クラブ(代表 和田譲次さん)の10周年記念、およびクラブ誌10号出版記念が開催された。約200人の会員が参加した。101歳の会員も参加していた。
2000年1月1日、「異業種の交流会」のメンバー約30人が政治的、宗教的な活動をしないという原則で、『元気に百歳』クラブを立ち上げた。モットーは『元気が最高のボランティア』だ。寝たきりで、100歳ではしかたない。元気に百歳まで生きよう、それが重要だと考えたのだ。
「健康で活き活き、と過ごす。病気をしないことは、余分な介護費用、医療費をつかったりしないことだ。家庭や社会に迷惑をかけない。それが世のなかに貢献することになる」と、和田さんは述べた。
長寿社会の加速とともに、『元気が最高のボランティア』のモットーに共感、共鳴する人が増えてきた。賛同者は中部、関西、九州に広がり、現在の会員は約300人になった。
「人間は一生、勉強だ」という考えの下に、同クラブの活動はパソコン教室、俳句、エッセイ、見学会、史跡周り、気功、サロン、地域のイベント参加など、多岐に渡る。
元大学教授、元教員、大手企業の幹部、研究者、音楽家など多岐の職歴をもつ人材が豊富だ。それらの人が自前講師だから、外部講師と違い、会員は安いコストで参加できる。常に知識・教養を高めたり、自分の精神に磨きをかけたりできるから、合理的だ。
代表の和田さんは10周年記念のあいさつで、「いまや長寿社会です、10x10=100ですから、「体育の日」から、「百歳の日」にしよう」、と世にむけて提起した。
少子化社会の下で、100歳にむかう社会をいかに支えるか。世のシステム変更はとかく後手、後手になる。国の政策や企業の定年制など、仕組みは遅ればせながら、後からついてくるもの。他方で、働き盛りの20代30代からみれば、自分は100歳まで生きないと思うし、ひとごとだ。
それならば、まずは形から先に入ってはどうだろう。10月10日は「百歳の日」という制定を推し進める。政治家、役人、庶民まで、国民全体が100歳の自分を意識すれば、40年間の無職、という解決策は思いのほか早く進んでいくだろう。元気ならば、年齢を問わず雇用する。「有償ボランティアシステム」など、社会全体で構築できていくだろう。【了】
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記者HP:穂高健一ワールド
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