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PJ: 穂高 健一

【ふたりのよこ顔】起死回生で、伝統文化の再構築になるか=横浜(3)
2009年09月30日 06:35 JST


横浜・山手(蓮華草元町工房の近く)から見た市街地。ここで栄えた横浜元町家具が消えかけている。地場産業の火を絶やすな、と立ち上がった人たちがいる。(撮影:滝アヤ、9月1日、横浜) 

【PJニュース 2009年9月27日】(2)からのつづき。木工職人の内田勝人さんは20代後半に、勤務する大手企業を退職し、長い伝統を持った横浜元町家具の工房に入った。睦商会はまさに徒弟制度だった。

入社時には、家具職人がまだ十数人ほどいた。一人が四畳半くらいのスペースで、床に座布団を敷いて、「アテダイ」で作業する。ことばを交わすのは、朝と夕方のあいさつ程度。昼休みは、だるまストーブの周りに集まっているけれど、ほとんど会話がない。仕事の話など皆無に近い。職人は黙々と仕事をするのみだった。

徒弟制度の世界では先輩から、なかなか口を利いてもらえない。平等という言葉などはないも同然だった。

「入社した当初は、5年間で技術を身につけて、独立したいと考えていました。これは腰を据えていかないといけない。独立心はしばらくなりを潜めました。二年間はバカになって下働きをやろう、と心しました。機械場のうるさい中で、一日200曲の鼻歌が課題で、朝から晩まで鼻歌を歌っていました」と語る。

初の家具作りの仕事は3年目だった。無垢(ムク)の箪笥(たんす)を6台作れ、という指示。工房の先輩たちには、後継者育成とか、技術継承とか、みじんもない。だれも教えてくれない。

職業訓練校でつかったカンナを持ち出してきても、10回削っても、1回くらいしか鉋屑(かんなくず)が出ない。先輩は1回ごとに薄く均一な鉋屑が出る。 2年間は先輩の仕事ぶりを見てきた。頭のなかに描いた製作と、実際は違う。いざ自分で作るとなれば、箪笥の仔細(しさい)な構図、組み立て方法もわからない。

「冷や汗、脂汗の連続でした」と話す。夜遅く一人残っては、先輩たちが製作した出荷前の製品を分解し、技術を盗んだものです、と内田さんはいまとなれば、思い出話として語る。

横浜元町家具は衰退し、工房も睦商会一軒のみとなった。この間に、先輩たちがドンドン辞めていく。「若手は、ボクの前後に二十数名入ってきたけど、カンナを持つまえに辞めてしまいました」。約20年後には、睦商会の職人は二人だけになっていた。

このままでは横浜元町家具が消えてしまう。内田さんは、長年持ちつづけた独立心もあり、親会社の?竹中の許可も得て、睦商会を離れた。そして、新たな工房として『蓮華草元町工房』を興したのだ。

技術がある者(熟練者)が、ない者(新人)に伝えていく。匠(たくみ)の伝承だけでは、いずれ断ち切れてしまう。『技術にプラス、新しい業』を創(つく)りだすことだと考えた。それは顧客と向かい合い、顧客が満足いくまで徹底したデザインと機能を追及していく。双方が納得できてから、製品化することだった。【つづく】

■関連情報
蓮華草元町工房
記者HP:穂高健一ワールド

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