SakuraFinancialNews

PJ: 穂高 健一

【ふたりのよこ顔】起死回生で、伝統文化の再構築になるか=横浜(1)
2009年09月28日 07:14 JST


木工職人の内田勝人さんと、木象嵌(もくぞうがん)作家の蓮尾知子さんは「横浜元町家具」の伝統継承と再興に情熱をかけている。(撮影:滝アヤ、9月1日、横浜) 

【PJニュース 2009年9月28日】地場産業として再興できるか、消えていくのか。横浜市には正念場に立つ、伝統技術がある。それは横浜元町家具だ。1950年代には「元町家具ブーム」が起きた。その後は衰退していく一方で、職人が数人にまでなった。

伝統技術の火を消すな。横浜元町家具が新たに生まれ変わろう、と木工職人や木象嵌(もくぞうがん)作家たちが伝統継承と再興に情熱をかけている。

横浜では開港150年祭が開催されている。中華街、元町から、丘陵地の西洋館のならぶ、静かな山手コースは歴史散策として人気を博している。山手の散策道では、ちょっと洒落(しゃれ)た二階建ての建物が目につく。小さな庭には花が飾られ、室内には高級な洋家具がゆったりならぶ。ギャラリーなのか、ショールームなのか、ショップなのか。

玄関先の絵画・キャンパスに似たパネルには、「蓮華草元町工房」と記す。(れんげそう もとまち こうぼう)。工房となると、一般の人が入っていいのか、どうなのか。それすらわからなかった。

「どうぞ、なかに入ってみてください」

マーケタリー(木象嵌)作家の蓮尾知子さんが招き入れてくれた。彼女はイギリスで洋家具の製作を学び、木象嵌の技術を日本に持ち帰り、普及に努めている。室内の豪華で艶(あで)やかなサイドボードの前で、「横浜元町家具って、ご存じですか」と問われた。家具を商う屋号ではなかった。

同工房の代表者である木工職人の内田勝人さん(50)と、蓮尾知子さんの二人から、横浜元町家具について話を聞くことができた。

内田さんはまず洋家具の歴史から説明してくれた。

横浜は1859年に開港した。欧米人とともに西洋文化が入ってきた。畳の上に正座する日本人と、机と椅子(いす)を使う西洋人と、まったく生活様式が違っていた。それは暮らしのなかにおける家具の違いでもあった。

当時、来日した西洋人たちは、生活水準は一般人よりもレベルが高い。横浜の居留地に運ばれてきた家具はグレードが高いものだった。洋館建ての生活のなかで、家具が傷むと、地場の職人に修復を頼んできた。(馬具職人が最初に椅子を直した、と伝えられている)。

日本の木工職人たちは、洋家具を見ておどろいた。古来から手がけてきた鏡台、茶だんす、すずり箱、茶道具の木工品などとはまったく違う。洋家具がもっているデザインや作り方の違いに戸惑ったのだ。【つづく】

■関連情報
蓮華草元町工房
記者HP:穂高健一ワールド
PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。
PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。



関連記事:
タグ:
pagetop

PJ 記者