PJ: 穂高 健一
吉報! 田子の浦(海抜0メートル)から富士山頂への全ルート地図が完成(1)
2009年08月23日 09:29 JST
畠堀操八さんによる、田子の浦(海抜0メートル)から山頂まで、「村山古道」の2万5000分の1の地図が完成した。(撮影:穂高健一、8月7日、東京) 
【PJニュース 2009年8月23日】富士登山といえば、五合目から山頂を目指し、ご来光を迎えるのが一般的だ。登山家の畠堀操八さんは十数年前に、「ふもとから自分の足で登る、原点の登り方があってもいいのではないか」と素朴な考えを持った。それは平安時代末に確立した、富士山修験道ルート(村山古道)の掘り起こしでもあった。
村山古道は鉄道の発達などによって、明治末には廃道になり、倒木とスズタケの世界となっていた。地元の富士宮市村山の人たちの協力を仰いだ。倒木をまたいだり、潜ったり、笹をかき分けるなど、何度も挑戦し、悪戦苦闘の末に『村山古道』の全ルートを拓(ひら)いた。そして、世に発表した。
畠堀操八さんは『富士山・村山古道を歩く』(風濤社)を発行した。と同時に、田子の浦(海抜0メートル)で身体を清め、富士山頂を目指す、という古式登山の普及に努めた。同本を片手に登る人が増えてきた。他方で、本のガイドだけでは、海抜0メートルからのルートがわからない、迷ってしまう、という問題が起きるようになった。
「登山者が迷うと危険だ」と、富士宮市村山の人たちは善意で道標(みちしるべ)を立てた。その後、静岡森林管理署は「国有林への立ち入り禁止」を主張し、道標の撤去を求めてきたのだ。「青森県の奥入瀬渓流落枝事件で、国は自然公園の管理責任を問われました。林野庁の過剰反応でしょう」と畠堀さんは語る。
もう一つ、立ちはだかる問題が起きた。静岡県と富士宮市による、富士山の世界文化遺産の運動だ。「修験道遺跡」の保護と調査を理由に、地元住民を含めた村山古道への立ち入り禁止の要求だった。
村山古道は1000年間も続いてきた、富士信仰の登山道である。地元民は廃道になってからも、営々と復元の努力を重ねていた。行政当局とは真っ向から対立した。京都・聖護院では08年度から「富士山峯入り修行」を復活させた。つまり、信仰の道として、「修験宗総本山聖護院門跡」を認知したのだ。
村山古道は復活して5年が経つ
行政と地元住民との対立がいかにあれ、多くの登山者とすれば、「富士山は役人のものではない、国民すべての財産。登山道の封鎖は国民の利に反する」という認識に立つ。年間に約500人の登山者が村山古道に入る。行政は止められない。他方で、田子の浦から富士山頂まで標高差3776メートルの、全ルートの精密な地図が望まれていた。
今年7月1日、畠堀操八さんによる、写真50点と部分図2枚が入った2万5000分の1の地図が完成した。地図のタイトルは、著書『富士山・村山古道を歩く』と同じで、サブタイトル「田子の浦〜村山古道〜富士山頂」。発行所はNPO法人シニア大樂(だいがく) 山樂(さんがく)カレッジで、頒価1000円である。
畠堀さんからは、同地図に関係した一連の話を聞くことができた。地図を作ろうとした動機について、畠堀さんは語る。
「以前から、ケータイで、『ここはどちらに進んだらいいか』といった問い合わせがありました。最近は『入り口がわからない』といった苦情も増えていました。役所関係者、その利権を得ている人たちが道標のみならず、マーキングまでも取り外していくのです」と嘆く。
精密な地図がなければ、なおさら道迷いの危険が高まる。「役所のやり方は危険極まりない」と、畠堀さんの批判はとどまらない。【つづく】
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記者HP:穂高健一ワールド
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