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PJ: 長戸 稔

みじめな「アル中」―死との戦いが執念の「断酒継続」20年達成のもとになる(その2)=三重・伊勢
2009年02月28日 08:56 JST


酒・アルコールに困っている人 社団法人・全日本断酒連盟の戸をだまされたと思って叩いてごらん! この指止まれ!(写真提供:三重県立・心の健康センター 電話:059-255-2151) 

前回の記事まで5回連載させてもらいました。全国の人から電話をいただきました。その相手の多くが女性からでした。「うちの主人はお酒さえ呑まなければ良い人なんですが・・・」「何かにとりつかれている様にお酒を飲むんです・・・」「こんな人と結婚して一生不幸です・・・」「お酒のない世界に行きたい・・・」などでした。

私は酒害相談を受けたのはこの2008年1月が初めてでした。「アル中」ごときにそんな資格がないと思っていました。でもその考えが間違いである事に気づきました。“体験してきた事をありのままに書いてみたい”のですがと、PJニュースの小田編集長に相談しました。そしてこの連載(3回位続けば上出来と思っていました。)になりました。書く事で、知らない人からメールが来たり、電話が来るようになってきて、元気が回復してきました。友人が言うにはロウソクは消える寸前は明るい。そうかも知れないなーと思ってきました。

時も時、1987年10月に社団法人・全日本断酒連盟主催で第15回全国大会が「広島ふたば会」で開催される事になりました。「三重県断酒新生会」の計らいで「広島ふたば会」に再入会させてもらいました。全国の断酒会員(当時:約5万人)が断酒経歴のない人を中心に3000人が集まりました。「三重県断酒新生会」は前回で書いた(ヤクザの親分)も出席するというので、その日(杖)をついてバスを迎えに行った。100人ぐらいが広島に来ていました。

「三重県断酒新生会」の会員は断酒がホヤホヤの人が多い。(みんな良く見ておけ! 酒を飲み続けるとあのような姿になるんだぞ!)・・・みじめな「アル中」の私が会員の「見せ物」になる事によって、酒をやめた人がおれば嬉(うれ)しいと思えるようになりました。このような流転の体験があればこそ、今の20年の断酒継続につながっている事を嬉しく思います。

私は自分が書きたいことを、書いてはいけない。みんなが聞きたい事を書かなければと気づきました。断酒できずに呑んでいる人、断酒して間もない人がこれを読んで、奥さんから聞いてでもいいから、今後あなたがどう生きるかの助け舟になりたい。

全国の断酒会員が集結した2日間も終わり、それぞれ帰っていった。自分は断酒会員となったが、酒はやめられずに呑み続けていました。私は「広島県安芸郡府中みくまりの山の上に住んでいた。家内の退職金が生活費に当てられていたにも関わらず酒を呑む日が続いていた。

全国どの地方でもそうであるように、「断酒会入会」と同時に「広島ふたば会」の会員が編成を組んで入れ替わり、立ち代わり寝付くまで酒を呑ませない様に、ひまを作らせない様に助けてくれるのです。この力、結束力には頭が下がります。毎週・断酒例会には迎えに来てくれて家内と一緒に例会通いです。このような生活が半年余り続いても、酒は止められずに呑んでいました。

断酒会員に呑むなと一度も言われた事がありません。本人が気づくまで待っていてくれます。断酒継続している先輩たちは自分の体験から理解できるのです。今になって思うと「アル中」にはこれが最大の悟(さとし)であった。「誠意」に根負けして、1988年5月1日から今日(2008年2月26日)まで断酒・禁煙が続いています。

真の回復を目指して歩いていく事になった。私は「何をしていても良いから酒だけは手を出さない」と決意をした。

皆さまからのお電話の中で一番多いのが「決意」の質問です。私の場合、アル中」の平均寿命は55歳までと書きました。長戸家の長男として生まれてきて、姉、妹2人、両親が苦労して大学まで出してくれて、自分の勝手で2度も結婚に破れ、親に勘当されてまで命を救ってくれた今の家内を道づれにして、わが身は心身ともにずたずたで明日の命さえも危ない状態をやっと気がつきました。

このまま広島で死ぬか! 断酒して一日でも長生きするか! の決断を自分自身にせまった。天命の義務を感じた。そして決意して翌日に入会しました。

断酒したおかげで、現在69歳でPJニュース記者として活躍しています。それもこれも皆さまの助けがあってこそなのです。自分ひとりでは何もできない事を酒のおかげで知りました。あなたの人生を変えませんか? 相談してください。 ―参考になりますか? どうか? ・・・―

酒が切れてくるとものすごい勢いで飲酒欲求が自分を襲ってくる。夜と昼の区別がなくなる。幻覚、妄想の世界になやまされる。「アル中」症状で自分が自分でなくなり、薬物欠乏状態になる。この土地の誰も知らない。友達もいない。広島の道も知らない。断酒例会の場所すらも知らない。この時の状態を断酒一年ぐらいたってから断酒仲間、家内から聞いたものです。

こんな言葉があります。「地獄を見たけりゃアル中の家庭を見ろ!」と言われています。悲惨、壮絶を通りこして地獄絵図だ。自分の非常事態を起こしている原因は、酒が切れてそういう状態になっている事を分からない事だった。夢遊病者の状態であった。広島に来て行方不明になった事は一度や二度ではなかった。

その都度、「広島ふたば会」には迷惑をかけた。その御厚情に感謝しています。このトンネルをくぐり抜けなければ断酒ができなかった。二人三脚でやっとあかりが見え出した。3カ月を要したと思う。

「ヒロシマ」の断酒仲間のおかげで、断酒のきっかけをつかんだ。一年間の「広島ふたば断酒会」にお世話になりました。この次は「回復の過程」の心理状態を書いてみようと思います。広島での一年間の断酒証明書を会長からいただき、再度「三重県断酒新生会」に入会しました。1989年10月だったと記憶しています。

(メールアドレス:m-nagato@amigo2.ne.jp 携帯番号:090-3589-2757 お気軽に連絡してください。) 【了】

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